カテゴリー: Caregiver’s Diary

  • ばーばもまたやりたいよ

    ── ASDの孫と、がんのばーばを繋いだ、マリオカートの朝

    去年の夏休み。

    Lucaは「デイサービスに行きたくない」と言った。
    ASDで、低緊張で、感覚過敏のあるLucaにとって、慣れない場所で長く過ごすのは、心がすり減る時間だった。

    そんなとき、ばーばが言った。

    「じゃあ、ばーばと、ゲームしよっか。」

    それが、すべての始まりだった。


    ばーばが、ゲームを覚えた

    ばーばは、ゲームをする人ではなかった。
    庭を整え、料理を作り、家族を支える人だった。

    でも、Lucaのために、マリオカートを覚えた。

    最初は、コントローラーの持ち方も知らなかった。
    コースアウトしながら、笑いながら、ふたりで走った。

    夏休みが終わっても、ふたりのレースは続いた。

    土日の朝。
    気づけば、平日の朝も。
    学校に行く前に、1グランプリ ── 4レース。表彰台で優勝カップを見届けて、ランドセルを背負う。

    それが、ふたりの儀式になった。

    診断の日からは、レース中に涙ぐむことも、あった。
    でも、Lucaの笑い声を聞くと、また笑顔に戻った。


    イカちゃんとくろヘイホー

    Lucaは、最初はマリオを使っていた。
    やがて、ボスパックンを愛するようになり、最近は「くろヘイホー」を選ぶようになった。

    ヘイホーは、実は ヨッシーアイランド出身のキャラクターだ。
    Lucaは、知ってか知らずか、自分の魂のキャラを選んでいた。

    ばーばのキャラクターは、Lucaがプロデュースしていた。

    「ばーば、今日はこの頭にしよう」
    「車はこれが面白そう」
    「カイトはモモンガ?クッパ?」

    Lucaが選んだのは、**イカの帽子をかぶった「イカちゃん」**だった。

    毎日、Lucaがコーディネートしているうちに、イカちゃんは、ばーばにしか見えなくなった。

    ばーば=イカちゃん。
    Luca=くろヘイホー。

    ふたりの分身が、毎朝、レースを走った。


    5月、入院日の朝

    その朝、Lucaが選んだコースは、ヨッシーアイランドだった。

    このコースには、特別な仕掛けがある。

    空を、ふわふわと、ハテナのお花が飛んでいる。
    ジャンプの最中に、そのお花に触れることができたら ──
    コースの真ん中に、希望のような、赤い階段が、現れる。

    でも、お花は飛んでいて、なかなか触れない。
    ふたりは、毎朝、挑戦していた。
    ほとんどの朝、お花は手の届かないところに飛んで行ってしまっていた。

    その日、ふたりは、真剣な表情で走っていた。

    そして ──

    Lucaのくろヘイホーが、ジャンプの瞬間、ハテナフラワーに触れた。

    コースの真ん中に、赤い階段が、現れた。

    空に向かって、ぐるりと伸びる、希望のような、赤い階段。

    ばーばのイカちゃんが、その階段を走り抜けるとき ──

    ばーばは、目に涙を浮かべながら、にっこりと、笑った。

    そして、Lucaに、こう言った。

    Luca、ありがとう。これ、見たかった。

    うるうる、ニコニコ。
    涙と笑顔が、同時にあった。

    入院する前に、もう一度、赤い階段が見たかった。
    ばーばは、ずっとそう思っていた。

    その願いを、Lucaが、叶えた。

    「またできるといいな。」

    しんみりと、ばーばが、つぶやいた。

    私は、後ろで見ていて、胸が震えた。
    ASDのLucaが、ばーばのために、希望の道を呼び寄せた。
    偶然じゃない。Lucaの集中力と正確さが、入院日の朝、ばーばが「もう一度見たい」と願っていたものを、叶えた。

    でも、その次の瞬間。
    ばーばのイカちゃんが、コースから落ちた。
    Lucaが、ケラケラと、声をあげて笑った。

    パックンフラワーが、ばーばを丸ごと食べた。
    Lucaは、お腹を抱えて笑った。

    そのたびに、ばーばも、笑った。
    Lucaの笑顔を見ながら、ばーばの目尻に、涙と笑いが、同時にあった。

    「もう1回!」とLuca。
    「もう1回!」とばーば。

    くろヘイホーが、1位でゴールした。
    表彰台のカップ授与式を、ふたりで見届けた。

    そして、ばーばは、病院へ向かった。


    退院の日

    ばーばが、家に帰ってきた。

    Lucaは、玄関で待っていた。

    ばーばを見た瞬間、Lucaが言った。

    「ばーば、おかえり! また、やろうね!」

    ばーばは、玄関で泣いた。
    ぽつりと、ひと言。

    ばーばも、また、やりたいよ。


    痛みが、ふたりを離した

    退院しても、ばーばは長く座っていられない。
    肝臓の皮膜の痛み。
    CVポートのあたりの違和感。

    座ると、チクチク、プチプチと、身体が痛む。

    ばーばは、毎日、Lucaに聞く。

    「ばーば、いつ、できる?」

    Lucaは、答えない。
    ばーばが痛がっているのを、ちゃんと見ている。

    私は、Lucaに言った。

    「ママと、マリオカートやる?」

    Lucaは、首を振った。

    ばーばじゃないと、面白くないからいい。


    それでも、Lucaは

    Lucaは、ばーばを諦めない。

    マリオカートはできないけれど、
    自分が一番好きなものを持って、ばーばの隣に行くようになった。

    プラレール。
    踏切のおもちゃ。
    ぐるぐる回るレールと、カンカン鳴る踏切。

    ASDのLucaにとって、踏切とプラレールは、世界で一番安心するもの。
    **「自分の魂を、ばーばの近くに置く」**という方法で、Lucaは愛を伝えている。

    ばーばも、ソファに横になりながら、それを見ている。

    「ヘイホー、上手だね」とは言わない。
    「電車、いっぱい走ってるね」と、笑う。

    ふたりは今、新しい儀式を作っている。
    言葉ではない、何かで、繋がっている。


    同じように、繋がっている家族へ

    世界中に、こういう瞬間があると思う。

    ゲームで繋がる祖父母と孫。
    特別な何かで、ことばを超えて愛し合う家族。
    病気で、思うように動けなくなった大切な人と、それでも諦めない誰か。

    私は、看護師として、そういう家族をたくさん見てきた。
    そして今、自分の家族が、その物語の中にいる。

    ばーばはまだ、マリオカートをやりたいと思っている。
    Lucaは毎朝、ばーばの近くで、プラレールを走らせている。

    私は、それを見ながら、祈る。

    もう一度、ふたりが、グランプリを走れる朝が来ますように。

    イカちゃんと、くろヘイホーが、また、赤い階段を走れますように。


    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。母はステージIV大腸癌・多発性肝転移と診断され、本人の了承のもと、家族の記録を綴っています。

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  • 「あの、1番広いお部屋よ」  手術室を内見してきた、73歳

    泣きながら入っていくものらしい

    術後、何日か経った朝の回診で。

    執刀してくれた先生が、母のベッドの横に立って、こう言った。

    「僕、今までけっこうたくさん手術してるんですけどね。」

    「だいたい術前って、シクシク泣いて入ってこられるんですよ。付き添いの看護師さんに目を拭いてもらったりしながら。あとは、いろいろ考えてらっしゃる硬い表情で入室される方とか。」

    そうだよね、と思う。

    これから、お腹を開けられる。麻酔で意識がなくなる。何が起こるか分からない。

    泣いて当たり前だ。

    でも、先生は続けた。

    「……あなたは、僕を2回、指さしながら入ってきたでしょう。」

    「僕、ビックリしたんですからね。」

    指さされた執刀医

    執刀直前の医師を、患者が指さす。

    しかも、2回。

    先生からしたら、なかなかの光景だったと思う。

    「なんだ?」「何かあるのか?」「今から切るぞ、という宣言か?」

    心中、いろいろよぎったはずだ。

    でも、母はきょとんとして、こう答えた。

    「あ、みんな3人いたけど、泣いてたね。」

    (他の患者さんの様子まで見ていたらしい。)

    「やだ、先生を指さしたりしてないですよ。」

    「看護師さんに、”あ、私の手術するベッドあれよ、あの1番広いお部屋よ! ねー” って言いながら向かったんですよ。」


    内見だった。

    指をさしていたのは、先生じゃなくて、部屋とベッドだった。

    手術室を、物件のように見ていたのだ。

    「あの1番広いお部屋よ」

    「ものすごく大きいベッドだ」

    これから自分が開腹される場所を、広さで褒めながら入っていった人が、ここにいる。

    先生と母は、そこで大笑いしていた。

    処置をしていた看護師さんが、後ろで「ぷっ」と吹き出していた。

    あとで聞いたら、ナースステーションでは、この二人は **「面白コンビ」**と呼ばれて、話題になっていたらしい。

    母、入院中に、あだ名がついていた。

    ちなみに、部屋もベッドも、本当に大きかった

    ここは看護師として補足しておきたいのだけれど。

    母の言っていること、わりと正確だったりする。

    手術台そのものは、実は細い。術者が体に近づけるように、わざと細く作られている。

    でも、腹腔鏡の大腸手術の準備が整った台は、見た目がまるで違う。

    両腕を横に開いて固定するアームボードが、左右に張り出している。 体位を保つための支持具。脚台。ずり落ちを防ぐ固定マット。

    細い台が、十字に大きく広がって、堂々とした「大きなベッド」になる。

    そして腹腔鏡の部屋は、機械が入る分、たいてい一番広い。

    つまり母は、初めて入った手術室を、正しく評価していた。

    度胸というか、なんというか。

    病棟を、ぐるんぐるん歩く。 病棟5周を朝と晩

    手術のあとも、その調子だった。

    回診で、先生が言う。

    「お昼、起きてますよね。病棟をぐるんぐるん歩いてるって、看護師みんなが教えてくれますよ。」

    「お元気で、素晴らしいです。」

    そう、母は歩いていた。

    熱が38度あった日も、歩いていた。

    おならが出ないのが気になって、必死だったらしい。

    そして先生は、こう続けた。

    「……あと、夜もYouTube見ているそうですね。」

    「いつ寝てるんですか?」

    バレていた。

    「夜は寝てくださいね。何見てるんですか?」

    最後は絶対、ハッピーエンドなのよー

    母の答えが、これだった。

    「江戸時代の、花咲かじいさんみたいな物語でね。」

    「ツッコミどころ満載で、辻褄が合わないわねー、ということばっかりなんだけど。」

    「すごく大変で、いろいろあるのよ。大変なことが、次々起こるのよ。」

    「でも、最後は絶対、ハッピーエンドなのよー」

    先生が、ふっと笑った。

    「……そんなのYouTubeにあるんですね。」


    私は、この話を聞いたとき、少しだけ、胸が詰まった。

    笑い話として聞いていたのに。

    手術の前後、眠れない夜に。

    母が自分に見せていたのは、辻褄が合わなくて、大変なことばかり起きて、それでも最後は必ずハッピーエンドになる物語だった。

    偶然じゃないと思う。

    たぶん、選んでいた。

    半月、待った理由

    実は、母は腸閉塞を起こしてから、手術まで半月以上あいている。

    その理由を、最近になって知った。

    母がずっと、執刀医に言い続けていたのだ。

    「ストーマはダメ。大腸の癌を、取ってちょうだい。」

    閉塞したまま緊急で開ければ、腸は張って、むくんでいる。その状態で腸をつなぐのは、危ない。だから普通は、安全のために人工肛門を作る。

    それが、当たり前の判断だ。

    でも先生は、遠回りをした。

    管を入れて腸を減圧して、むくみが引くのを待って、栄養を入れて、体を整えて。

    腸が「縫える状態」になるまで、半月かけた。

    母の願いを、叶えるために。

    そして手術の日、母は先生にこう言った。

    「お願い。取って、繋げるで、頑張って。」

    言い続けた人と、聞き続けた人がいた。

    だから、繋がった。

    「あ、先生にまた会えた!」

    手術が終わって、麻酔から覚めるとき。

    名前を呼んで、「手術終わりましたよ」と声をかける。

    その瞬間のことを、先生が話してくれた。

    僕、あんなにパチッとお目々を開けて、”あ、先生にまた会えた!” って言われたの、初めてです。」

    「お身体、もちろんお強いですけど、しっかりしてる。ビックリしました。」


    笑ってしまった。

    目覚めた第一声が、それか、と。

    でも、少し経ってから、気がついた。

    母は、**「また」**と言ったのだ。

    「終わりましたか」でも、「痛いです」でもなく。

    また、会えた。


    73歳。全身麻酔。医師は、脳梗塞や肺炎の合併症を、かなり警戒していたという。

    母は、それを知っていた。

    だから「また」なのだ。

    もう一度会えるかどうか、分からないと思って入っていった人の言葉。

    手術室を「1番広いお部屋よ」と品定めしながら、笑って歩いていったあの人が。

    心の中では、ちゃんと、そこまで見ていた。

    同じ場所にいる、あなたへ

    大切な人が手術を受けるとき。

    怖くて、たまらないと思う。

    私も、そうだった。何日も、眠れなかった。

    でも、覚えておいてほしいことがあります。

    当の本人が、あなたよりずっと、腹をくくっていることがある。

    泣いて入る人もいる。それでいい。

    部屋の広さを褒めながら入る人もいる。それも、いい。

    どちらも、覚悟の形です。

    そして、そういう人のそばで、私たちにできることは、たぶん、そんなに多くない。

    手を握って。

    笑って送り出して。

    戻ってきたら、「おかえり」と言う。

    それだけで、じゅうぶんなんだと思う。


    ちなみに母は、今も元気に、病棟改め自宅を、ぐるんぐるんしています。

    あと、たぶん今夜もYouTubeを見ています。

    最後は絶対、ハッピーエンドなんだそうです。


    この日記は、世界のどこかで、同じ気持ちでいる誰かに、 「わかるよ。ひとりじゃないよ」を届けたくて、書いています。


    ※本記事は、家族としての個人的な記録です。医療的な判断や治療方針については、必ず主治医にご相談ください。登場する会話は、本人の了承を得て掲載しています。

  • Mamma(ママ)、大変だ!

    ── ステージIVの母が、トマト畑で学んだこと

    「Mamma、大変だ! ばーばが畑に行こうとしているよ!」

    5月31日の朝。
    朝食の食器を洗っていた私の耳に、玄関からLucaの叫び声が届いた。

    私は、急いで手を拭いて、靴を履いた。

    ASDのLucaに、ずっと頼んでいたことがある。

    「ばーばが動いたら、特に畑に行こうとしたら、すぐママに教えてね」

    退院から4日。
    ばーばは、日中、お庭を散歩しながら、畑を見るのが日課になっていた。
    そして、トマトのわさわさが、気になっていた。

    Lucaは、その役目を、誰よりも正確にやってくれた。
    「mamma、大変だ!」
    あの朝、その一言が、ばーばと私と家族を、繋いだ。


    4月15日に植えた、トマト

    ばーばが、トマトを3本植えたのは、4月15日

    その6日後、4月21日に、ばーばのステージIV大腸癌・多発性肝転移が、見つかった。

    つまり、ばーばは、診断の前に、家族のためにトマトを植えていた。
    「自分で作ったトマトを、家族に食べさせたい」
    そう言って、土を耕して、苗を植えていた。

    診断後、ばーばは、こう言って笑っていた。

    「買った方が、安いかもね。手間を考えたら。」

    でも、ばーばは、自分が育てたトマトを、私たちに食べさせたかった。
    それが、ばーばの愛の形だった。


    「私が、畑をやってるとはね」

    5月31日、朝9時。
    36.5℃。
    体調は、悪くないと、ばーばは思っていた。

    CVポートを造設して2週間。
    右手は、まだ思うように上げられない。
    それでも、ばーばは、「右手そんなに使えないだけで、できる気がしたの」と、後で笑って話してくれた。

    私は、ばーばに付き添って畑に出た。
    インドア人間で、本好きで、PC好きで、畑なんて一度もやったことがない私が、ぎこちなく、トマトの脇芽を取り始めた。

    ばーばは、私を見て、ふふっ、と笑った。

    「M(私の名前)が、畑をやってるとはね。」

    私も、笑った。

    そりゃそうだ。
    私は、ばーばの広い庭の管理を、ずっと「ばーばがやるもの」だと思って生きてきた。

    「あなたが、こんなことするんだね」
    ばーばの笑顔が、その朝の畑に、ぽつんと浮かんでいた。


    ばーばが、動き出してしまう

    私の手つきが、ばーばには、もどかしすぎたようだ。

    「ここはこうやって」
    「これはこっちに結んで」

    ばーばは、そっと、そっと、右手を上げないように動きながら、自分で脇芽を取り始めた。

    ──また、これだ。

    竹藪のとき、剪定バリカンのとき、いつもこうだ。
    ばーばは、「ちょっと監督するだけ」のはずが、いつの間にか、自分の手で全部やってしまう。

    トマトを終えたら、隣のきゅうりの蔓が、伸びかけているのが目に入った。
    「あら、これも倒れる前に支柱に結ばないと」

    笑っている場合じゃなくなった。

    ばーばの表情が、少しずつ、歪んできた。

    「ばーば、もう今日は終わり。きゅうりは、私が蔓をクルクルして、結んでおくから」

    私が、声をかけた。

    大丈夫、大丈夫、できる。

    ばーばは、そう言って、笑った。
    いつもの、ばーばだった。


    限界

    でも、きゅうりの蔓を巻いている途中で、ばーばが言った。

    もうダメだわ。これ、やったら、休む。

    その声が、震えていた。

    最後の蔓を結び終わると、ばーばは、すぐに、家に戻った。

    ソファに横になったばーばの額に、熱が出始めていた。

    36.7℃。
    そして、すぐに37.0℃。

    「あ、熱出てる」
    ばーばは、自分で気づいて、自分で体温計を測った。

    訪問看護師として、私は知っている。
    治療を始めたばかりのこの時期、5月30日から6月3日は、免疫が一番下がるピーク。

    そして、ばーばは、その日、畑に立っていた。


    ばーばが、つぶやいたこと

    2時間ほどで、ばーばの熱は、36.8℃まで下がった。
    私たちは、一緒に、安心した。

    そして、ばーばは、ソファの上で、こうつぶやいた。

    もう、無理しないわ。この治療は、無理できないんだわ。

    それは、ばーばが、生まれて初めて、口にした言葉だったかもしれない。

    ずっと、家族のために、無理を「無理だと思わずに」やってきた人。
    広い庭を、ひとりで管理してきた人。
    診断の6日前にも、家族のためにトマトを植えていた人。

    その人が、初めて、「無理しない」と、自分に言った。


    私が、その夜、考えたこと

    私は、訪問看護師として、たくさんの患者さんの家族と関わってきた。

    「無理しないで」と、何百回も、言ってきた言葉。
    でも、それは、患者本人にとっては、簡単な言葉じゃない。

    「無理しない」とは、「できないことを、受け入れる」ということ。
    それは、看護師として、頭ではわかっていた。
    でも、自分の母が、それを受け入れる瞬間に立ち会ったのは、初めてだった。

    ばーばは、その日、少し反省していた。
    無理してしまったこと。
    家族に心配をかけたこと。

    そして、たぶん ──
    「我慢強く、人に任せる」
    ということを、ばーばは、これから少しずつ、学んでいこうとしている。


    Lucaから、ばーばへ

    私は、Lucaを育てるとき、ある作戦を立てていた。

    「まず、やってみよう。優しく説明して、次回のやり方を、一緒に考えよう作戦」

    頭ごなしに「ダメ」と言わない。
    本人がやってみて、感じて、考える。
    そして、次に活かす。

    ASDのLucaに、私が見つけた育て方だった。

    その同じ作戦を、私は、ばーばにも、応用しはじめている。

    「畑に行かないで」じゃなくて、「行ったら、こうなったね。じゃあ、次は、こうしてみる?」

    ばーばも、Lucaも、私から見たら、世界でいちばん大切な、自分の力で生きようとしている人

    その尊厳を、止めることはしたくない。
    でも、限界を、一緒に学んでいきたい。


    Lucaの「Mamma、大変だ!」

    あの朝、もしLucaの「Mamma、大変だ!」がなかったら ──
    ばーばは、もっと長く、畑にいたかもしれない。

    ASDのLucaは、「ばーばが畑に行こうとしている」という、ひとつのルールを、完璧に守ってくれた。

    これも、Lucaの愛の形。
    ばーばを、自分の方法で、守っていた。


    同じように、家族を見守っている、誰かへ

    「もうやらないで」と止めても、止まらない人。
    「無理しないで」と言っても、無理してしまう人。

    そんな大切な人が、あなたの家族にもいませんか?

    止められない時もある。
    言うことを聞いてくれない時もある。

    でも、それは、その人がまだ自分の力で生きようとしている証拠

    無理した日があっても、いい。
    そこから、本人が、ちゃんと考えていくから。

    私の家族は、今、その途中にいます。

    ばーばは、無理した。
    熱が出た。
    そして、ばーばは、自分で「無理しない」と決めた。

    それが、いちばんの治療かもしれません。


    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。母はステージIV大腸癌・多発性肝転移と診断され、本人の了承のもと、家族の記録を綴っています。

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  • 感情が先に出てしまう、あなたへ

    「知ってしまったからこその、こわさ」と「祈るような想い」——その狭間

    ​看護師として働いている私は、数字の意味を知っている。

    好中球がいくつあれば治療ができるのか。 アルブミンがどのくらい下がると厳しいのか。 肝機能の数値が何を語っているのか。

    ——でも、それが母の血液検査だと、話は別だった。

    明日、採血がある。 そう思うだけで、胸がざわざわする。 知識があるぶん、悪い数字の意味まで、先に見えてしまうから。

    「分かるようになってしまった」人たち

    これは、医療者だけの話ではないと思う。

    大切な人が病気になったとき、家族は、いつの間にか詳しくなる。

    先生の説明を、必死にメモして。分からない言葉を、家に帰って調べて。 検査結果の紙を、何度も見返して。

    誰も、そんな知識を望んでいたわけじゃないのに。

    気づけば、数字の意味が分かるようになっている。 次に何が起こりうるかも、想像できるようになっている。

    看護師の娘も、そうやって覚えた家族も、立っている場所は同じだ。

    知りたくて、知ったんじゃない。

    ただ、その人を、守りたかっただけ。

    知っているから、こわい

    「詳しいんだから、落ち着いていられるでしょう」 そう思われることがある。

    でも実際は、逆のことも多い。

    知っているからこそ、こわい。

    数字の向こうにある可能性を、ぜんぶ想像できてしまうから。 何も知らなければ、ただ結果を待てたかもしれない。

    でも私たちは、待っているあいだに、いくつもの未来を見てしまう。

    それでも、順番がある

    感情が先に出てしまう自分を、私は長いあいだ責めていた。

    もっと冷静でいなきゃ。理性で判断しなきゃ。 でも、最近、こう思うようになった。

    感情を消す必要は、ない。

    大事なのは、順番なのだと思う。

    こわい。緊張する。泣きそうだ。 ——それは、そのまま感じていい。

    そのうえで、判断するときだけ、数字と事実を見る。 それでいい。

    感情が出るのは、弱さじゃない

    理性だけで動ける人なんて、いない。 もしいたとしたら、その人はきっと、そこまで深く誰かを想っていない。

    感情が先に出るのは、あなたが、その人を愛しているからだ。

    調べる頭と、震える心。

    両方あるから、しんどい。 でも、両方あるから、そばにいられる。

    吐き出す場所を、持っていて

    ひとつだけ、お願いがあります。

    感情を、どこかで出してください。

    友人でも、家族でも、日記でも、ひとりごとでも。 溜め込んで、理性だけで走り続けると、どこかで必ず、折れてしまうから。

    出して、落ち着いて、それから考える。 その順番さえあれば、大丈夫。

    今日できることだけ

    先の検査結果は、私にはどうにもできない。 でも、今日、母に何か食べてもらうことはできる。

    それだけに集中すればいい。

    どうにもならないことは、手放していい。 手の中にあることだけ、やればいい。

    大切な誰かのそばにいる、あなたへ。

    こわがっていい。 泣いていい。

    そして、明日また、ごはんを運べばいい。

    それで、じゅうぶんです。

    訪問看護師として働きながら、ASD・低緊張のある息子を育てるシングルマザー。母はステージIVの大腸がん・多発性肝転移。「ひとりじゃないよ」を、世界のどこかの誰かに届けたくて書いています。

  • 「治療しますか」と聞かれた日

    2026年5月1日。

    連休前の、よく晴れた日のことだった。

    その日、母は本当は「付き添い」だったはずだ。

    足の悪い父──心筋梗塞の既往と頚椎症で、長く歩けない父──の通院介助。それが、母の今日の役割だった。

    でも、父の診察を待っている廊下で、母は、倒れた。

    そのまま救急に運ばれ、検査が始まり、そして見つかったのが、ステージIVの大腸癌。多発性肝転移。

    「付き添い」だったはずの母が、患者になった。

    その日から、いろんなことが、ぐるぐると入れ替わっていった。

    主治医との初対面

    5月1日。 あの日、私は両親と一緒に、初めて主治医に会った。

    医師は、とても静かな、丁寧な口調の人だった。 病状の説明を、ゆっくりと、母にもわかるように話してくれた。

    そして、最後に、こう聞いた。

    「治療……しますか?」

    沈黙。

    母は何も答えなかった。 私も、何も言えなかった。

    その沈黙の中で、最初に口を開いたのは、父だった。

    足が悪くて、母に支えられてここまで来た父が、母の顔を見て、優しく、でも、懇願するように、言った。

    「ね、治療するでしょ。しないと、しょうがないでしょ」


    母は、しばらく黙っていた。

    そして、小さな声で、

    「します」

    と言った。


    「では、生検検査の結果が8日に出ますので、その時、入院日を決めましょう。」

    医師の声は、温かかった。

    母は、震える声で、もう一度、聞いた。

    「治療しないと……どのくらい、ですか。」

    医師は、少し間をおいてから、答えた。

    「1年くらいです。」


    母は、震えていた。 小さな身体が、椅子の上で、はっきりと、震えていた。

    私は、看護師として、こういう瞬間を見たことがある。 他人の家族の、こういう瞬間に、立ち会ってきた。

    でも、自分の母の震えは、初めてだった。


    病院の自動精算機の前で

    会計を待っている、両親の後ろ姿。

    父は車椅子。 母は、その車椅子を押しながら、自動精算機にバーコードを通している。

    ついさっき「あなたの命は、治療しなければ1年です」と告げられた人が、家族の会計を、している。

    私は、その後ろ姿を見て、胸が張り詰めた。 看護師として、娘として、人として、全部の感情が混ざり合って、息ができなくなりそうだった。


    でも、泣けなかった。 ここで泣いたら、母がもっと怖くなる。

    私は、こらえて、母と父を車まで送った。

    母は、車に乗る前に、ぽつりと言った。

    「怖いね。」

    ただ、それだけ。

    でも、その「怖いね」は、私が今まで聞いた中で、一番、震えていた。


    それでも、私は

    母を、家まで送り届けることは、できなかった。

    LUCAを、迎えに行く時間が、迫っていたから。

    母は足の悪い父の代わりに、駐車場から病院の玄関で車椅子で待つ父のもとへ車を移動させ

    そこからは父が運転手になり、父の介助で家まで帰してから、私は車で動けなくなった。 ハンドルを握ったまま、涙が止まらなかった。

    「ママ、遅いよ」

    と、学校の携帯電話から、先生と一緒にかけてきた、LUCAから電話が来た。

    私は、急いで涙を拭いて、エンジンをかけた。


    役割が、入れ替わっていく

    母は、ずっと、父を介助してきた人だった。 家族の中心で、庭を整え、料理を作り、孫を抱きしめてきた人だった。

    その母が、患者になった。

    そして、その母を支えるのは、これから、私と父になる。

    足の悪い父と、シングルマザーの私と、ASDの小学校3年生のLUCA。

    「家族の中心」が、ぐらっと、揺れた。


    それでも、母は

    母は今、治療を始めようとしている。

    「延命はしないでね」と、何度も、私に言った。

    「最期は家にいたい」とも、言った。

    それを聞くたびに、私は、胸が張り裂けそうになる。 でも、看護師として、娘として、私は、母の意思を尊重する。

    それが、命の現場で、私がずっと見てきたことだから。


    同じ気持ちの、誰かへ

    もし今、あなたも、家族の「治療しますか」という瞬間に、立ち会ったばかりなら──

    泣いていい夜が、いっぱいあると思う。

    私も泣いている。

    でも、あなたの家族が「します」と言ったなら、それは、あなたと一緒にいたい、ということ。

    「しません」と言ったなら、それは、最期の時間を、あなたと過ごしたい、ということ。

    どちらでも、それは、あなたが愛されている証拠です。


    5月1日、母と父と私は、人生の新しい局面に、足を踏み入れた。

    私たちはまだ、この坂道のどこにいるのか、わからない。

    でも、坂の途中に、ひとつだけ、はっきり見えているものがある。

    母が、私に教えてくれた「生きること」と「終わること」の、両方を、私は最後まで隣で見つめていく、ということ。

    それが、娘としての、看護師としての、私の覚悟です。


    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。母はステージIV大腸癌・多発性肝転移と診断され、本人の了承のもと、家族の記録を綴っています。

    autism-mama-diary.com


  • 垣根の向こうのじゃんけん  母から、訪問看護師の娘へ

    垣根の向こうのじゃんけん
    ~なんて優しい人なのだろう~

    小学生のころ、集団登校の班が来る前、私はいつも少しだけ道路に出て待っていた。 垣根の隙間から、掃除をしているお母さんが見えた。忙しいはずなのに、私に気づくといつもじゃんけんをしてくれた。 それが、とても嬉しくて、楽しくて大切な時間だった。隙間から見えるその笑顔が、キラキラしていて大好きだった。

    ある日聞いた。
    「どうしてそんなに優しいの?」 お母さんはすぐ答えてくれた。 「好きだからよ」 その一言が、ずっと胸の中にある。
    今も。

    お母さんが育てると、何でも咲く

    小学生の夏休み、黄色の菊を育てる宿題があった。 私は1週間ほどで水やりをやめてしまった。 その後、お母さんが黙って水をやり続けた。 学校に持っていったら、校内で1位『金賞』をとってしまった。 全校のみんなの前で表彰されて、嬉しくもあり、恥ずかしかった。お母さんが育てると、何でも満開に咲くの。 庭のお花も、季節ごとに美しく咲いている。広い庭を、いつもきれいに整えている。私には、とてもできないことを、当たり前のようにやっている。 家族のために、家のために、ずっと一生懸命だったお母さん。 その姿が、ずっと尊敬でいっぱいです。

    お母さんへ

    どうかすぐ いかないで
    もっと 一緒にいたいよ
    今日も 大好き。
    今日も ありがとう。

    お母さんと会えなくなるなんて
    怖いよ。