「知ってしまったからこその、こわさ」と「祈るような想い」——その狭間
看護師として働いている私は、数字の意味を知っている。
好中球がいくつあれば治療ができるのか。 アルブミンがどのくらい下がると厳しいのか。 肝機能の数値が何を語っているのか。
——でも、それが母の血液検査だと、話は別だった。
明日、採血がある。 そう思うだけで、胸がざわざわする。 知識があるぶん、悪い数字の意味まで、先に見えてしまうから。
「分かるようになってしまった」人たち
これは、医療者だけの話ではないと思う。
大切な人が病気になったとき、家族は、いつの間にか詳しくなる。
先生の説明を、必死にメモして。分からない言葉を、家に帰って調べて。 検査結果の紙を、何度も見返して。
誰も、そんな知識を望んでいたわけじゃないのに。
気づけば、数字の意味が分かるようになっている。 次に何が起こりうるかも、想像できるようになっている。
看護師の娘も、そうやって覚えた家族も、立っている場所は同じだ。
知りたくて、知ったんじゃない。
ただ、その人を、守りたかっただけ。
知っているから、こわい
「詳しいんだから、落ち着いていられるでしょう」 そう思われることがある。
でも実際は、逆のことも多い。
知っているからこそ、こわい。
数字の向こうにある可能性を、ぜんぶ想像できてしまうから。 何も知らなければ、ただ結果を待てたかもしれない。
でも私たちは、待っているあいだに、いくつもの未来を見てしまう。
それでも、順番がある
感情が先に出てしまう自分を、私は長いあいだ責めていた。
もっと冷静でいなきゃ。理性で判断しなきゃ。 でも、最近、こう思うようになった。
感情を消す必要は、ない。
大事なのは、順番なのだと思う。
こわい。緊張する。泣きそうだ。 ——それは、そのまま感じていい。
そのうえで、判断するときだけ、数字と事実を見る。 それでいい。
感情が出るのは、弱さじゃない
理性だけで動ける人なんて、いない。 もしいたとしたら、その人はきっと、そこまで深く誰かを想っていない。
感情が先に出るのは、あなたが、その人を愛しているからだ。
調べる頭と、震える心。
両方あるから、しんどい。 でも、両方あるから、そばにいられる。
吐き出す場所を、持っていて
ひとつだけ、お願いがあります。
感情を、どこかで出してください。
友人でも、家族でも、日記でも、ひとりごとでも。 溜め込んで、理性だけで走り続けると、どこかで必ず、折れてしまうから。
出して、落ち着いて、それから考える。 その順番さえあれば、大丈夫。
今日できることだけ
先の検査結果は、私にはどうにもできない。 でも、今日、母に何か食べてもらうことはできる。
それだけに集中すればいい。
どうにもならないことは、手放していい。 手の中にあることだけ、やればいい。
大切な誰かのそばにいる、あなたへ。
こわがっていい。 泣いていい。
そして、明日また、ごはんを運べばいい。
それで、じゅうぶんです。
訪問看護師として働きながら、ASD・低緊張のある息子を育てるシングルマザー。母はステージIVの大腸がん・多発性肝転移。「ひとりじゃないよ」を、世界のどこかの誰かに届けたくて書いています。