投稿者: autismmama

  • ばーばもまたやりたいよ

    ── ASDの孫と、がんのばーばを繋いだ、マリオカートの朝

    去年の夏休み。

    Lucaは「デイサービスに行きたくない」と言った。
    ASDで、低緊張で、感覚過敏のあるLucaにとって、慣れない場所で長く過ごすのは、心がすり減る時間だった。

    そんなとき、ばーばが言った。

    「じゃあ、ばーばと、ゲームしよっか。」

    それが、すべての始まりだった。


    ばーばが、ゲームを覚えた

    ばーばは、ゲームをする人ではなかった。
    庭を整え、料理を作り、家族を支える人だった。

    でも、Lucaのために、マリオカートを覚えた。

    最初は、コントローラーの持ち方も知らなかった。
    コースアウトしながら、笑いながら、ふたりで走った。

    夏休みが終わっても、ふたりのレースは続いた。

    土日の朝。
    気づけば、平日の朝も。
    学校に行く前に、1グランプリ ── 4レース。表彰台で優勝カップを見届けて、ランドセルを背負う。

    それが、ふたりの儀式になった。

    診断の日からは、レース中に涙ぐむことも、あった。
    でも、Lucaの笑い声を聞くと、また笑顔に戻った。


    イカちゃんとくろヘイホー

    Lucaは、最初はマリオを使っていた。
    やがて、ボスパックンを愛するようになり、最近は「くろヘイホー」を選ぶようになった。

    ヘイホーは、実は ヨッシーアイランド出身のキャラクターだ。
    Lucaは、知ってか知らずか、自分の魂のキャラを選んでいた。

    ばーばのキャラクターは、Lucaがプロデュースしていた。

    「ばーば、今日はこの頭にしよう」
    「車はこれが面白そう」
    「カイトはモモンガ?クッパ?」

    Lucaが選んだのは、**イカの帽子をかぶった「イカちゃん」**だった。

    毎日、Lucaがコーディネートしているうちに、イカちゃんは、ばーばにしか見えなくなった。

    ばーば=イカちゃん。
    Luca=くろヘイホー。

    ふたりの分身が、毎朝、レースを走った。


    5月、入院日の朝

    その朝、Lucaが選んだコースは、ヨッシーアイランドだった。

    このコースには、特別な仕掛けがある。

    空を、ふわふわと、ハテナのお花が飛んでいる。
    ジャンプの最中に、そのお花に触れることができたら ──
    コースの真ん中に、希望のような、赤い階段が、現れる。

    でも、お花は飛んでいて、なかなか触れない。
    ふたりは、毎朝、挑戦していた。
    ほとんどの朝、お花は手の届かないところに飛んで行ってしまっていた。

    その日、ふたりは、真剣な表情で走っていた。

    そして ──

    Lucaのくろヘイホーが、ジャンプの瞬間、ハテナフラワーに触れた。

    コースの真ん中に、赤い階段が、現れた。

    空に向かって、ぐるりと伸びる、希望のような、赤い階段。

    ばーばのイカちゃんが、その階段を走り抜けるとき ──

    ばーばは、目に涙を浮かべながら、にっこりと、笑った。

    そして、Lucaに、こう言った。

    Luca、ありがとう。これ、見たかった。

    うるうる、ニコニコ。
    涙と笑顔が、同時にあった。

    入院する前に、もう一度、赤い階段が見たかった。
    ばーばは、ずっとそう思っていた。

    その願いを、Lucaが、叶えた。

    「またできるといいな。」

    しんみりと、ばーばが、つぶやいた。

    私は、後ろで見ていて、胸が震えた。
    ASDのLucaが、ばーばのために、希望の道を呼び寄せた。
    偶然じゃない。Lucaの集中力と正確さが、入院日の朝、ばーばが「もう一度見たい」と願っていたものを、叶えた。

    でも、その次の瞬間。
    ばーばのイカちゃんが、コースから落ちた。
    Lucaが、ケラケラと、声をあげて笑った。

    パックンフラワーが、ばーばを丸ごと食べた。
    Lucaは、お腹を抱えて笑った。

    そのたびに、ばーばも、笑った。
    Lucaの笑顔を見ながら、ばーばの目尻に、涙と笑いが、同時にあった。

    「もう1回!」とLuca。
    「もう1回!」とばーば。

    くろヘイホーが、1位でゴールした。
    表彰台のカップ授与式を、ふたりで見届けた。

    そして、ばーばは、病院へ向かった。


    退院の日

    ばーばが、家に帰ってきた。

    Lucaは、玄関で待っていた。

    ばーばを見た瞬間、Lucaが言った。

    「ばーば、おかえり! また、やろうね!」

    ばーばは、玄関で泣いた。
    ぽつりと、ひと言。

    ばーばも、また、やりたいよ。


    痛みが、ふたりを離した

    退院しても、ばーばは長く座っていられない。
    肝臓の皮膜の痛み。
    CVポートのあたりの違和感。

    座ると、チクチク、プチプチと、身体が痛む。

    ばーばは、毎日、Lucaに聞く。

    「ばーば、いつ、できる?」

    Lucaは、答えない。
    ばーばが痛がっているのを、ちゃんと見ている。

    私は、Lucaに言った。

    「ママと、マリオカートやる?」

    Lucaは、首を振った。

    ばーばじゃないと、面白くないからいい。


    それでも、Lucaは

    Lucaは、ばーばを諦めない。

    マリオカートはできないけれど、
    自分が一番好きなものを持って、ばーばの隣に行くようになった。

    プラレール。
    踏切のおもちゃ。
    ぐるぐる回るレールと、カンカン鳴る踏切。

    ASDのLucaにとって、踏切とプラレールは、世界で一番安心するもの。
    **「自分の魂を、ばーばの近くに置く」**という方法で、Lucaは愛を伝えている。

    ばーばも、ソファに横になりながら、それを見ている。

    「ヘイホー、上手だね」とは言わない。
    「電車、いっぱい走ってるね」と、笑う。

    ふたりは今、新しい儀式を作っている。
    言葉ではない、何かで、繋がっている。


    同じように、繋がっている家族へ

    世界中に、こういう瞬間があると思う。

    ゲームで繋がる祖父母と孫。
    特別な何かで、ことばを超えて愛し合う家族。
    病気で、思うように動けなくなった大切な人と、それでも諦めない誰か。

    私は、看護師として、そういう家族をたくさん見てきた。
    そして今、自分の家族が、その物語の中にいる。

    ばーばはまだ、マリオカートをやりたいと思っている。
    Lucaは毎朝、ばーばの近くで、プラレールを走らせている。

    私は、それを見ながら、祈る。

    もう一度、ふたりが、グランプリを走れる朝が来ますように。

    イカちゃんと、くろヘイホーが、また、赤い階段を走れますように。


    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。母はステージIV大腸癌・多発性肝転移と診断され、本人の了承のもと、家族の記録を綴っています。

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  • 「あの、1番広いお部屋よ」  手術室を内見してきた、73歳

    泣きながら入っていくものらしい

    術後、何日か経った朝の回診で。

    執刀してくれた先生が、母のベッドの横に立って、こう言った。

    「僕、今までけっこうたくさん手術してるんですけどね。」

    「だいたい術前って、シクシク泣いて入ってこられるんですよ。付き添いの看護師さんに目を拭いてもらったりしながら。あとは、いろいろ考えてらっしゃる硬い表情で入室される方とか。」

    そうだよね、と思う。

    これから、お腹を開けられる。麻酔で意識がなくなる。何が起こるか分からない。

    泣いて当たり前だ。

    でも、先生は続けた。

    「……あなたは、僕を2回、指さしながら入ってきたでしょう。」

    「僕、ビックリしたんですからね。」

    指さされた執刀医

    執刀直前の医師を、患者が指さす。

    しかも、2回。

    先生からしたら、なかなかの光景だったと思う。

    「なんだ?」「何かあるのか?」「今から切るぞ、という宣言か?」

    心中、いろいろよぎったはずだ。

    でも、母はきょとんとして、こう答えた。

    「あ、みんな3人いたけど、泣いてたね。」

    (他の患者さんの様子まで見ていたらしい。)

    「やだ、先生を指さしたりしてないですよ。」

    「看護師さんに、”あ、私の手術するベッドあれよ、あの1番広いお部屋よ! ねー” って言いながら向かったんですよ。」


    内見だった。

    指をさしていたのは、先生じゃなくて、部屋とベッドだった。

    手術室を、物件のように見ていたのだ。

    「あの1番広いお部屋よ」

    「ものすごく大きいベッドだ」

    これから自分が開腹される場所を、広さで褒めながら入っていった人が、ここにいる。

    先生と母は、そこで大笑いしていた。

    処置をしていた看護師さんが、後ろで「ぷっ」と吹き出していた。

    あとで聞いたら、ナースステーションでは、この二人は **「面白コンビ」**と呼ばれて、話題になっていたらしい。

    母、入院中に、あだ名がついていた。

    ちなみに、部屋もベッドも、本当に大きかった

    ここは看護師として補足しておきたいのだけれど。

    母の言っていること、わりと正確だったりする。

    手術台そのものは、実は細い。術者が体に近づけるように、わざと細く作られている。

    でも、腹腔鏡の大腸手術の準備が整った台は、見た目がまるで違う。

    両腕を横に開いて固定するアームボードが、左右に張り出している。 体位を保つための支持具。脚台。ずり落ちを防ぐ固定マット。

    細い台が、十字に大きく広がって、堂々とした「大きなベッド」になる。

    そして腹腔鏡の部屋は、機械が入る分、たいてい一番広い。

    つまり母は、初めて入った手術室を、正しく評価していた。

    度胸というか、なんというか。

    病棟を、ぐるんぐるん歩く。 病棟5周を朝と晩

    手術のあとも、その調子だった。

    回診で、先生が言う。

    「お昼、起きてますよね。病棟をぐるんぐるん歩いてるって、看護師みんなが教えてくれますよ。」

    「お元気で、素晴らしいです。」

    そう、母は歩いていた。

    熱が38度あった日も、歩いていた。

    おならが出ないのが気になって、必死だったらしい。

    そして先生は、こう続けた。

    「……あと、夜もYouTube見ているそうですね。」

    「いつ寝てるんですか?」

    バレていた。

    「夜は寝てくださいね。何見てるんですか?」

    最後は絶対、ハッピーエンドなのよー

    母の答えが、これだった。

    「江戸時代の、花咲かじいさんみたいな物語でね。」

    「ツッコミどころ満載で、辻褄が合わないわねー、ということばっかりなんだけど。」

    「すごく大変で、いろいろあるのよ。大変なことが、次々起こるのよ。」

    「でも、最後は絶対、ハッピーエンドなのよー」

    先生が、ふっと笑った。

    「……そんなのYouTubeにあるんですね。」


    私は、この話を聞いたとき、少しだけ、胸が詰まった。

    笑い話として聞いていたのに。

    手術の前後、眠れない夜に。

    母が自分に見せていたのは、辻褄が合わなくて、大変なことばかり起きて、それでも最後は必ずハッピーエンドになる物語だった。

    偶然じゃないと思う。

    たぶん、選んでいた。

    半月、待った理由

    実は、母は腸閉塞を起こしてから、手術まで半月以上あいている。

    その理由を、最近になって知った。

    母がずっと、執刀医に言い続けていたのだ。

    「ストーマはダメ。大腸の癌を、取ってちょうだい。」

    閉塞したまま緊急で開ければ、腸は張って、むくんでいる。その状態で腸をつなぐのは、危ない。だから普通は、安全のために人工肛門を作る。

    それが、当たり前の判断だ。

    でも先生は、遠回りをした。

    管を入れて腸を減圧して、むくみが引くのを待って、栄養を入れて、体を整えて。

    腸が「縫える状態」になるまで、半月かけた。

    母の願いを、叶えるために。

    そして手術の日、母は先生にこう言った。

    「お願い。取って、繋げるで、頑張って。」

    言い続けた人と、聞き続けた人がいた。

    だから、繋がった。

    「あ、先生にまた会えた!」

    手術が終わって、麻酔から覚めるとき。

    名前を呼んで、「手術終わりましたよ」と声をかける。

    その瞬間のことを、先生が話してくれた。

    僕、あんなにパチッとお目々を開けて、”あ、先生にまた会えた!” って言われたの、初めてです。」

    「お身体、もちろんお強いですけど、しっかりしてる。ビックリしました。」


    笑ってしまった。

    目覚めた第一声が、それか、と。

    でも、少し経ってから、気がついた。

    母は、**「また」**と言ったのだ。

    「終わりましたか」でも、「痛いです」でもなく。

    また、会えた。


    73歳。全身麻酔。医師は、脳梗塞や肺炎の合併症を、かなり警戒していたという。

    母は、それを知っていた。

    だから「また」なのだ。

    もう一度会えるかどうか、分からないと思って入っていった人の言葉。

    手術室を「1番広いお部屋よ」と品定めしながら、笑って歩いていったあの人が。

    心の中では、ちゃんと、そこまで見ていた。

    同じ場所にいる、あなたへ

    大切な人が手術を受けるとき。

    怖くて、たまらないと思う。

    私も、そうだった。何日も、眠れなかった。

    でも、覚えておいてほしいことがあります。

    当の本人が、あなたよりずっと、腹をくくっていることがある。

    泣いて入る人もいる。それでいい。

    部屋の広さを褒めながら入る人もいる。それも、いい。

    どちらも、覚悟の形です。

    そして、そういう人のそばで、私たちにできることは、たぶん、そんなに多くない。

    手を握って。

    笑って送り出して。

    戻ってきたら、「おかえり」と言う。

    それだけで、じゅうぶんなんだと思う。


    ちなみに母は、今も元気に、病棟改め自宅を、ぐるんぐるんしています。

    あと、たぶん今夜もYouTubeを見ています。

    最後は絶対、ハッピーエンドなんだそうです。


    この日記は、世界のどこかで、同じ気持ちでいる誰かに、 「わかるよ。ひとりじゃないよ」を届けたくて、書いています。


    ※本記事は、家族としての個人的な記録です。医療的な判断や治療方針については、必ず主治医にご相談ください。登場する会話は、本人の了承を得て掲載しています。

  • Mamma(ママ)、大変だ!

    ── ステージIVの母が、トマト畑で学んだこと

    「Mamma、大変だ! ばーばが畑に行こうとしているよ!」

    5月31日の朝。
    朝食の食器を洗っていた私の耳に、玄関からLucaの叫び声が届いた。

    私は、急いで手を拭いて、靴を履いた。

    ASDのLucaに、ずっと頼んでいたことがある。

    「ばーばが動いたら、特に畑に行こうとしたら、すぐママに教えてね」

    退院から4日。
    ばーばは、日中、お庭を散歩しながら、畑を見るのが日課になっていた。
    そして、トマトのわさわさが、気になっていた。

    Lucaは、その役目を、誰よりも正確にやってくれた。
    「mamma、大変だ!」
    あの朝、その一言が、ばーばと私と家族を、繋いだ。


    4月15日に植えた、トマト

    ばーばが、トマトを3本植えたのは、4月15日

    その6日後、4月21日に、ばーばのステージIV大腸癌・多発性肝転移が、見つかった。

    つまり、ばーばは、診断の前に、家族のためにトマトを植えていた。
    「自分で作ったトマトを、家族に食べさせたい」
    そう言って、土を耕して、苗を植えていた。

    診断後、ばーばは、こう言って笑っていた。

    「買った方が、安いかもね。手間を考えたら。」

    でも、ばーばは、自分が育てたトマトを、私たちに食べさせたかった。
    それが、ばーばの愛の形だった。


    「私が、畑をやってるとはね」

    5月31日、朝9時。
    36.5℃。
    体調は、悪くないと、ばーばは思っていた。

    CVポートを造設して2週間。
    右手は、まだ思うように上げられない。
    それでも、ばーばは、「右手そんなに使えないだけで、できる気がしたの」と、後で笑って話してくれた。

    私は、ばーばに付き添って畑に出た。
    インドア人間で、本好きで、PC好きで、畑なんて一度もやったことがない私が、ぎこちなく、トマトの脇芽を取り始めた。

    ばーばは、私を見て、ふふっ、と笑った。

    「M(私の名前)が、畑をやってるとはね。」

    私も、笑った。

    そりゃそうだ。
    私は、ばーばの広い庭の管理を、ずっと「ばーばがやるもの」だと思って生きてきた。

    「あなたが、こんなことするんだね」
    ばーばの笑顔が、その朝の畑に、ぽつんと浮かんでいた。


    ばーばが、動き出してしまう

    私の手つきが、ばーばには、もどかしすぎたようだ。

    「ここはこうやって」
    「これはこっちに結んで」

    ばーばは、そっと、そっと、右手を上げないように動きながら、自分で脇芽を取り始めた。

    ──また、これだ。

    竹藪のとき、剪定バリカンのとき、いつもこうだ。
    ばーばは、「ちょっと監督するだけ」のはずが、いつの間にか、自分の手で全部やってしまう。

    トマトを終えたら、隣のきゅうりの蔓が、伸びかけているのが目に入った。
    「あら、これも倒れる前に支柱に結ばないと」

    笑っている場合じゃなくなった。

    ばーばの表情が、少しずつ、歪んできた。

    「ばーば、もう今日は終わり。きゅうりは、私が蔓をクルクルして、結んでおくから」

    私が、声をかけた。

    大丈夫、大丈夫、できる。

    ばーばは、そう言って、笑った。
    いつもの、ばーばだった。


    限界

    でも、きゅうりの蔓を巻いている途中で、ばーばが言った。

    もうダメだわ。これ、やったら、休む。

    その声が、震えていた。

    最後の蔓を結び終わると、ばーばは、すぐに、家に戻った。

    ソファに横になったばーばの額に、熱が出始めていた。

    36.7℃。
    そして、すぐに37.0℃。

    「あ、熱出てる」
    ばーばは、自分で気づいて、自分で体温計を測った。

    訪問看護師として、私は知っている。
    治療を始めたばかりのこの時期、5月30日から6月3日は、免疫が一番下がるピーク。

    そして、ばーばは、その日、畑に立っていた。


    ばーばが、つぶやいたこと

    2時間ほどで、ばーばの熱は、36.8℃まで下がった。
    私たちは、一緒に、安心した。

    そして、ばーばは、ソファの上で、こうつぶやいた。

    もう、無理しないわ。この治療は、無理できないんだわ。

    それは、ばーばが、生まれて初めて、口にした言葉だったかもしれない。

    ずっと、家族のために、無理を「無理だと思わずに」やってきた人。
    広い庭を、ひとりで管理してきた人。
    診断の6日前にも、家族のためにトマトを植えていた人。

    その人が、初めて、「無理しない」と、自分に言った。


    私が、その夜、考えたこと

    私は、訪問看護師として、たくさんの患者さんの家族と関わってきた。

    「無理しないで」と、何百回も、言ってきた言葉。
    でも、それは、患者本人にとっては、簡単な言葉じゃない。

    「無理しない」とは、「できないことを、受け入れる」ということ。
    それは、看護師として、頭ではわかっていた。
    でも、自分の母が、それを受け入れる瞬間に立ち会ったのは、初めてだった。

    ばーばは、その日、少し反省していた。
    無理してしまったこと。
    家族に心配をかけたこと。

    そして、たぶん ──
    「我慢強く、人に任せる」
    ということを、ばーばは、これから少しずつ、学んでいこうとしている。


    Lucaから、ばーばへ

    私は、Lucaを育てるとき、ある作戦を立てていた。

    「まず、やってみよう。優しく説明して、次回のやり方を、一緒に考えよう作戦」

    頭ごなしに「ダメ」と言わない。
    本人がやってみて、感じて、考える。
    そして、次に活かす。

    ASDのLucaに、私が見つけた育て方だった。

    その同じ作戦を、私は、ばーばにも、応用しはじめている。

    「畑に行かないで」じゃなくて、「行ったら、こうなったね。じゃあ、次は、こうしてみる?」

    ばーばも、Lucaも、私から見たら、世界でいちばん大切な、自分の力で生きようとしている人

    その尊厳を、止めることはしたくない。
    でも、限界を、一緒に学んでいきたい。


    Lucaの「Mamma、大変だ!」

    あの朝、もしLucaの「Mamma、大変だ!」がなかったら ──
    ばーばは、もっと長く、畑にいたかもしれない。

    ASDのLucaは、「ばーばが畑に行こうとしている」という、ひとつのルールを、完璧に守ってくれた。

    これも、Lucaの愛の形。
    ばーばを、自分の方法で、守っていた。


    同じように、家族を見守っている、誰かへ

    「もうやらないで」と止めても、止まらない人。
    「無理しないで」と言っても、無理してしまう人。

    そんな大切な人が、あなたの家族にもいませんか?

    止められない時もある。
    言うことを聞いてくれない時もある。

    でも、それは、その人がまだ自分の力で生きようとしている証拠

    無理した日があっても、いい。
    そこから、本人が、ちゃんと考えていくから。

    私の家族は、今、その途中にいます。

    ばーばは、無理した。
    熱が出た。
    そして、ばーばは、自分で「無理しない」と決めた。

    それが、いちばんの治療かもしれません。


    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。母はステージIV大腸癌・多発性肝転移と診断され、本人の了承のもと、家族の記録を綴っています。

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  • A Sense of Wa in Florence, A Melody of Solace in Japan

    Author: autismmama
    Category: Profile


    I know absolutely nothing about art.

    Even so, I vividly remember the day I set foot in the Chapel of the Princes at the Basilica of San Lorenzo in Florence.

    An octagonal hall.
    Lapis lazuli, jasper, agate, and marble covered every inch of the walls.
    The crests of Tuscan cities were masterfully pieced together in stone.

    It took my breath away.

    And then—strangely—I felt something deeply Japanese. A quiet harmony the Japanese call wa.

    I am in Italy. Why?

    My mind was completely disoriented, but my body was undeniably reacting.
    It was a profound nostalgia, as though I had slipped through time into the quiet elegance of ancient Japan.

    Before I even read the informational plaque, I genuinely wondered: “Did the Medici family cherish and collect Japanese art, too?”


    I learned the truth later.

    The Medici family truly did adore Japanese makie and lacquerware.
    To this day, the Pitti Palace houses a vast collection of Japanese craftsmanship from five centuries ago.

    Pietra dura—the inlay technique of arranging hard, precious stones into intricate pictures, a fiercely guarded art of the Medici.

    It is said that those very artisans were left breathless by the lines of the lacquerware that had crossed the sea from Japan.

    The Florentine craftsmen of five hundred years ago and I, a mere international student in the 21st century, were responding to the exact same thing, with the exact same sensation.

    Not through knowledge, but through the body.


    Why I Am Sharing This

    I currently work in both psychiatric and general care as a Psychiatric Visiting Nurse.
    I am a single mother raising LUCA, my son who navigates life with ASD, ADHD, and low muscle tone (hypotonia).

    Every single day, I see so many patients and so many children.

    And I realized something.

    The ASD and ADHD brain responds profoundly to beautiful lines and perfect proportions.

    It was the exact same visceral reaction I experienced in Florence.
    A mind that grasps true beauty not through logic, but through raw sensation.

    LUCA was the very same.

    At two years old, he discovered on his own that the sound of a railroad crossing was a regular rhythm.
    Even before he had words, he was choosing his own source of comfort.

    The Medici artisans, myself in Florence, LUCA by the railroad crossing, and neurodivergent minds all over the world—

    we are all responding to the same beauty.


    Who I Am

    I lived in Florence and Milan, Italy, for over four years.
    Classical music, church organs, cobblestone streets, and the meticulous handiwork of artisans.

    After returning to Japan, I walked the path to becoming a Psychiatric Visiting Nurse.

    Working in psychiatric settings, I have witnessed countless moments where music reached those whose hearts could no longer be reached by words.

    While raising LUCA, there were days we shared an umbrella and walked a full kilometer in the rain, just to stand by the railroad crossing.

    Then, my mother was diagnosed with Stage IV cancer.

    Amidst days where the limits of time are always on our minds, she continues to cheer for my channel.
    “It’s okay to show our wide garden to the world,” she tells me with a smile.

    I will remain in Japan until I see both my parents through to the end.
    After that, LUCA and I will move overseas.
    To a place where LUCA can live exactly as he is, without ever being blamed or judged.


    What I Want to Do With This Channel

    I want to deliver sound, light, and words for ASD, ADHD, and neurodivergent minds.

    The tones of the cello and harp, brown noise, the rhythmic dinging of a railroad crossing.
    Ink wash paintings of dragons and bamboo, the soft glow of an andon lantern, and a world of inlay inspired by the pietra dura of the Medici.

    Sending the prayers of 500-year-old Florence from 21st-century Japan to the rest of the world.

    And—

    To the mother somewhere in the world, pulling her child by the hand in the pouring rain while holding back tears.

    To you, who sat immobilized in your car after that conversation with the doctor.

    To anyone who is blaming themselves, thinking, “My child just isn’t normal.”

    Right here is a mother, a nurse, who lives with those exact same feelings.

    You are not alone.


    In Closing

    I know absolutely nothing about art.
    I can hardly read academic papers, English, or German.

    But I feel it.

    Beautiful lines, graceful proportions, unconditional love, and genuine prayer.

    As a nurse, a mother, and a daughter, I will breathe these things into this channel.

    Please, listen.
    Please, whenever you feel lost, come back here.

    This is a place where you do not have to do anything at all.


    A single mother raising LUCA, who navigates ASD, ADHD, and low muscle tone, while working in psychiatric and general care as a Psychiatric Visiting Nurse. Has lived in Florence and Milan, Italy, for over four years. Plans to remain in Japan until seeing her parents through to the end, before moving overseas with her son.

    autism-mama-diary.com

  • 「もったいない」の一言に、愛があった ── いい先生がいる、しあわせ

    「なおこ先生とすると、自信が持てる」

    ある日、息子と、学校の先生の話をしていた。

    書道の時間に、補助で入ってくれる、なおこ先生。

    その先生の話になった時、息子が、はっきりと、こう言った。

    「なおこ先生とすると、自信が持てる。」

    私は、すごく、すごく、嬉しかった。

    息子は、自分を大事にしてくれる人と、そうでない人を、とても敏感に感じ取る子だ。

    言葉が少なくても、相手の心の奥を、肌で感じ取る。

    だから、その息子が「自信が持てる」と言うなら ──

    なおこ先生は、きっと、本当に、息子を大切にしてくれている先生なんだと、思った。

    いい先生なんだなあ、と、心から思った。

    わざわざ、届けてくれた「大」の字

    その、なおこ先生から、こんなことがあった。

    ある朝、息子が書道で書いた「大」という字を ── 大きな、のびのびとした字を ──

    なおこ先生が、わざわざ、私に届けてくれたのだ。

    「上手に書けていますよ。一生懸命、頑張っていますから。」

    そう言って。

    そして、こう、付け加えてくれた。

    「他の先生にも、ちゃんと許可をいただいていますから。こっそり差し上げているわけではないので、安心して、受け取ってくださいね。」

    私は、この一言に、はっとした。

    なおこ先生は、息子の頑張りを認めてくれただけじゃない。

    私が、変な気を遣わないように、ということまで、先回りして、配慮してくれていた。

    「特別扱いしてもらって、いいのかな」

    「こっそりで、大丈夫かな」

    そんな風に、親が肩身の狭い思いをしないように。

    息子だけでなく、私の心まで、大事にしてくれていた。

    とても、嬉しかった。

    「もったいない」の、本当の意味

    後になって、その「大」の字のことを、詳しく知った。

    書道では、上手に書けた字と、失敗した字(練習になった字)が出る。

    失敗した練習用の紙は、筆を拭く「筆拭き」のように使われて、やがて、捨てられていくのだそうだ。

    なおこ先生は、息子が書いた「大」の字を見て、こう思ってくれたらしい。

    「これを、筆拭きにして捨ててしまうのは、もったいない。」

    もったいない。

    その一言を聞いて、私は、胸が、いっぱいになった。

    たくさんの練習用紙の中の、一枚。

    普通なら、筆拭きにされて、捨てられていく、ただの紙。

    でも、なおこ先生にとって、息子の「大」の字は、そうじゃなかった。

    息子が、一生懸命、頑張って書いた、大切な一枚だった。

    だから、捨てるのは「もったいない」と、すくい上げて、私に届けてくれた。

    「もったいない」──

    この、日本語の美しい言葉には、ものを、そして、その努力を、粗末にしない心がこもっている。

    なおこ先生の「もったいない」は、息子の努力を、息子という存在を、大切に思ってくれる心だった。

    息子の書いた字を、粗末にしない。捨てない。

    価値あるものとして、すくい上げてくれる。

    息子が「なおこ先生とすると、自信が持てる」と言うのは ──

    きっと、この「もったいない」の心を、ちゃんと感じ取っているからだ。

    自分の頑張りを、大事にしてくれる。

    その安心が、息子の自信を、静かに、育てている。

    いい先生がいる、しあわせ

    正直に書くと、学校のことで、つらい思いをすることも、ある。

    分かってもらえなくて、泣きたくなる日も、ある。

    でも ── なおこ先生のような先生も、ちゃんと、いる。

    息子を、一人の子として、ちゃんと見てくれて。

    頑張りを、価値あるものとして、すくい上げてくれて。

    親の気持ちまで、配慮してくれて。

    そうやって、息子の自信を、育ててくれる先生が。

    いい先生がいて、しあわせだ。

    心から、そう思う。

    同じ場所にいる、あなたへ

    もし、あなたが、お子さんのことで、つらい思いをしているなら。

    分かってもらえない先生や、心ない言葉に、削られているなら。

    どうか、覚えていてほしい。

    いい関わりの中でなら、あなたのお子さんは、必ず、力を発揮できます。

    うちの子が、なおこ先生のもとで「自信が持てる」と言えたように。

    あなたのお子さんにも、きっと、その子を大切にしてくれる、いい先生や、いい人が、どこかにいます。

    全部が、絶望じゃない。

    その子の頑張りを「もったいない」と、すくい上げてくれる大人が、ちゃんといる。

    そういう出会いを、大切に。

    そして、そういう出会いがあった時は、どうか、その幸せを、心いっぱいに、味わってください。

    いい先生がいて、しあわせ。

    その気持ちが、つらい日々の中の、あたたかい灯りになりますように。


    なおこ先生、ありがとうございます。

    息子の「大」の字を、すくい上げてくださって。

    そして、息子の自信を、育ててくださって。

    あの「大」の字は、我が家の、大切な宝物です。

    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。「一人じゃないよ」を、世界中の親に届けたくて、書いています。

  • 感情が先に出てしまう、あなたへ

    「知ってしまったからこその、こわさ」と「祈るような想い」——その狭間

    ​看護師として働いている私は、数字の意味を知っている。

    好中球がいくつあれば治療ができるのか。 アルブミンがどのくらい下がると厳しいのか。 肝機能の数値が何を語っているのか。

    ——でも、それが母の血液検査だと、話は別だった。

    明日、採血がある。 そう思うだけで、胸がざわざわする。 知識があるぶん、悪い数字の意味まで、先に見えてしまうから。

    「分かるようになってしまった」人たち

    これは、医療者だけの話ではないと思う。

    大切な人が病気になったとき、家族は、いつの間にか詳しくなる。

    先生の説明を、必死にメモして。分からない言葉を、家に帰って調べて。 検査結果の紙を、何度も見返して。

    誰も、そんな知識を望んでいたわけじゃないのに。

    気づけば、数字の意味が分かるようになっている。 次に何が起こりうるかも、想像できるようになっている。

    看護師の娘も、そうやって覚えた家族も、立っている場所は同じだ。

    知りたくて、知ったんじゃない。

    ただ、その人を、守りたかっただけ。

    知っているから、こわい

    「詳しいんだから、落ち着いていられるでしょう」 そう思われることがある。

    でも実際は、逆のことも多い。

    知っているからこそ、こわい。

    数字の向こうにある可能性を、ぜんぶ想像できてしまうから。 何も知らなければ、ただ結果を待てたかもしれない。

    でも私たちは、待っているあいだに、いくつもの未来を見てしまう。

    それでも、順番がある

    感情が先に出てしまう自分を、私は長いあいだ責めていた。

    もっと冷静でいなきゃ。理性で判断しなきゃ。 でも、最近、こう思うようになった。

    感情を消す必要は、ない。

    大事なのは、順番なのだと思う。

    こわい。緊張する。泣きそうだ。 ——それは、そのまま感じていい。

    そのうえで、判断するときだけ、数字と事実を見る。 それでいい。

    感情が出るのは、弱さじゃない

    理性だけで動ける人なんて、いない。 もしいたとしたら、その人はきっと、そこまで深く誰かを想っていない。

    感情が先に出るのは、あなたが、その人を愛しているからだ。

    調べる頭と、震える心。

    両方あるから、しんどい。 でも、両方あるから、そばにいられる。

    吐き出す場所を、持っていて

    ひとつだけ、お願いがあります。

    感情を、どこかで出してください。

    友人でも、家族でも、日記でも、ひとりごとでも。 溜め込んで、理性だけで走り続けると、どこかで必ず、折れてしまうから。

    出して、落ち着いて、それから考える。 その順番さえあれば、大丈夫。

    今日できることだけ

    先の検査結果は、私にはどうにもできない。 でも、今日、母に何か食べてもらうことはできる。

    それだけに集中すればいい。

    どうにもならないことは、手放していい。 手の中にあることだけ、やればいい。

    大切な誰かのそばにいる、あなたへ。

    こわがっていい。 泣いていい。

    そして、明日また、ごはんを運べばいい。

    それで、じゅうぶんです。

    訪問看護師として働きながら、ASD・低緊張のある息子を育てるシングルマザー。母はステージIVの大腸がん・多発性肝転移。「ひとりじゃないよ」を、世界のどこかの誰かに届けたくて書いています。

  • 「僕のこと、分かってるかな」——一生懸命な先生ほど、こう思っている

    走ってきてくれた先生

    書道の授業のあと、補助で入ってくださっている先生が、息子の書いた半紙を持って、走って私のところにやってきた。

    「これから捨てるのもったいないから」

    そう言って、プレゼントしてくれたのは、力強く書かれた「土」の一文字だった。
    その数週間前にも、同じ先生からこんな言葉をいただいていた。

    「お母さん、Lucaくんのお母さん。見て、”二”上手に力強く書けているでしょ〜」

    まるで自分のことのように、自慢するように褒めてくださった。

    私は息子から、その先生のことを聞いていた。下の名前で呼んでいたので、最初は誰のことか分からなかったけれど、「なおこ先生ですか?」と聞いたら、「そう、そう」と。

    「いつもありがとうございます。なおこ先生、いつも来てくれて、ありがたいよ、と息子も言っていました」

    そう伝えると、なおこ先生はこう続けた。

    「筆ね、あれ難しいんだよー」

    そして次の授業のあと、息子から聞いた話も伝えた。
    書いたばかりの、まだ乾いていない紙を持っていくとき、バリッと破れてしまったこと。そのとき、なおこ先生が「紙持ってるところ、引っ張らないで持てば大丈夫よー」と教えてくれて、それ以来破けなくなったこと。

    それを話したら、先生の表情が変わった。

    「嬉しい。私のこと分かってるかな?って思ってたから」

    ベテランの先生も、不安になる

    なおこ先生は、1年生の補助に入ってくださっているベテランの先生だ。
    無駄ににこにこするタイプではないけれど、とても丁寧で、的確な指導をしてくださる。

    「こう書くのよ」「左手は、こう紙を広げるように押さえると書きやすいよ」

    そう教えると、息子は一生懸命やる。
    「素直で、本当に気持ちのいい子で」と言ってくださった。

    「あ、それ聞いたことあります」と私が答えると、
    「えー嬉しい。私のこと話してくれて、えー嬉しいわ」

    ベテランの、経験も実力もある女性の先生が、「分かってるかな」と不安に思っていたという事実に、私は静かに驚いた。

    同じ言葉を言っていた、もう一人の先生

    実はこれと同じ言葉を、別の先生からも聞いたことがある。
    息子の親学級の2年生の担任の、男性の先生だ。

    まだ若手だけれど、3か月経っても声をかけ続けてくれる、熱意のある先生。
    今でも会えば、息子に声をかけてくれる。

    その先生も、担任になって数か月経った頃、こう言っていた。

    「僕のこと、分かってるかな?」

    ベテランと若手。年齢も経験も違う。
    けれど、共通していたのは「一生懸命さ」だった。

    なぜ、一生懸命な先生ほど不安になるのか

    最初は不思議だった。経験のある先生の方が、もっと自信を持って関わっているものだと思っていたから。
    でも、考えてみると分かる気がした。

    手を抜いている人は、そもそも「伝わっているかな」なんて考えない。
    真剣に向き合っているからこそ、子どもの反応の薄さに、揺らぐ。

    自閉症の子どもは、目を合わせることに慣れていない。リアクションも分かりやすい形では返ってこないことが多い。
    だから、一生懸命に関わってくれている大人ほど、自分の関わりが届いているのか分からなくなる。

    これは、子どもの特性の話だけではなく、反応の読みにくい子どもと向き合う、一生懸命な大人が抱える孤独の話なのだと思う。

    先生たちは、子どもの内側で何が起きているか、見えない。
    でも私たち親には、子どもが家でぽつりぽつりと話してくれる言葉から、それが見える。

    「なおこ先生、ありがたいよ」
    「紙、破れなくなったよ」

    子どもの言葉は、ちゃんと先生に届いていた証拠だった。
    ただ、それを先生本人に伝える機会が、なかっただけ。

    伝えることの意味

    あの日、なおこ先生に息子の言葉を伝えたとき、ベテランの先生の顔がふっと緩んだ。
    「嬉しい」という言葉を、二度も口にしてくれた。

    その姿を見て思った。

    子どもの心の中にある感謝や信頼は、放っておいても伝わるものではない。
    誰かが、橋渡しをしなければ、届かないまま終わってしまうこともある。

    だから私は、これからも伝えていきたいと思う。
    子どもが教えてくれた、小さな感謝の言葉を。

    一生懸命な先生たちが、「ちゃんと届いているよ」と知ることができるように。


    次回予告
    次回は、2年生の頃の担任の先生との、もう一つのエピソードを書こうと思います。息子が今でも尊敬している、その男性の先生との話。

    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。「一人じゃないよ」を、世界中の親に届けたくて、書いています。

  • 「星さんも出てるよ」──言葉の少なかった息子が、教えてくれた世界

    オーキッド、という色

    1年生になった息子が、朝顔の観察日記に、こう書いていた。

    「花の色は、オーキッドだった。」

    ……オーキッド?

    母である私は、正直、その色を知らなかった。
    あわてて調べてみると、たしかにあった。淡い紫に、そっとピンクを溶かしたような、蘭の花の色。

    そういえば、うちの庭に咲いた朝顔は、まさにその色をしていた。「むらさき」でも「ピンク」でもない、その両方がやさしく混ざりあった、あの色。

    息子は、どこでこんな言葉を見つけてきたのだろう。

    自分で調べて、たくさんの色の名前の中から、いちばんぴったりの一つを選んだらしい。
    私は、驚きながら、少しだけ泣きそうになった。

    だって、この子は──言葉が、とても遅い子だったから。

    ゲボを吐きそうだった、あの日々

    
    正直に書く。
    息子が小さい頃、私は、言葉の遅れが心配で、心配で、たまらなかった。

    本を、たくさん買った。育児書だけじゃなく、言語聴覚士が書いた専門書まで。
    夜は眠れなくて、睡眠導入剤を飲むようになったのも、ちょうどこの頃だ。

    2歳のとき、不安で夫に相談したら、「他の子と比べるな」と言われた。それきり、私は一人で抱えることにした。

    「1日に3800語、子どもに言葉を聞かせるといい」
    ──そんな話を知って、私は必死に実践した。

    物語を語り、自分の動作をぜんぶ実況し、自分の気持ちも、息子が言えたらいいなと思う言葉も、目に映ったものも、とにかく声に出し続けた。

    もともと、私はそんなにおしゃべりな方じゃない。喋り続けるのは、正直、ストレスだった。
    それでも、この子のためならと、言葉のシャワーを、毎日、浴びせ続けた。

    「ゲボ吐きそう」だった、あの日々。

    今は、笑って書ける。でも、あの頃は、本当に必死だった。

    でも、私は知っていた

    それでも、私は、どこかで知っていた。
    この子は、ちゃんと世界を理解している、と。

    なぜなら──1歳になる前から、息子は「指」で、私と話してくれていたから。

    夜、お月様が出ていると、指でお月様を指さして、にこにこ笑って、教えてくれた。
    「お月様、出てるよ」って。

    星が見えると、空を指さして、両手をキラキラさせて、私をとんとんと叩いてから、教えてくれた。
    「星さんも、出てるよ」って。

    雨が降ると、手を「おいで、おいで」するみたいに動かして、「雨、降ってる」と伝えてくれた。

    「まんま(ママ)」と言い、なぜか「だいだい(dai dai)」ともよく言った。
    私がイタリアで過ごした時間が、この子の最初の言葉に、そっと溶けこんでいた。

    電車を見に行くと、「たたんたたん、たたんたたん、えーーーい!」と、大きな声で(笑)。
    1歳半になる前のことだ。
    あの全身での表現に、私はいつも笑わされていた。

    言葉は、少なかった。
    でも、この子は、言葉より豊かな方法で、世界の美しさを、私に伝えてくれていた。

    「ママ、見て。きれいだよ。」

    そう言うように、小さな指で、空を指さして。

    色だけは、饒舌だった

    もう少し大きくなっても、息子は、既成の言葉に、丸めこまれなかった。

    紫色を見せて「これは紫だよ」と教えても、息子は言った。
    「青いピンク」。

    赤みの強い紫を見ると、
    「赤い青」。

    青みが強ければ、また違う言い方をした。
    いつも、強く見える色を、先に言った。

    「紫って言うんだよ」と教えても、「違う」と、はっきり言われた。

    最初は、戸惑った。どうして、覚えてくれないんだろう、と。
    でも、あるとき、気づいた。

    この子は、間違っているんじゃない。
    
    私たちより、本当の色を、見ているんだ。
    
    紫は、たしかに、青と赤が混ざった色。息子は、その中にある青と赤を、ちゃんと見分けていた。
    どちらが強いかまで、見えていた。

    「紫」という一つの名前では、足りなかったのだ。
    この子の目には、世界が、もっと細やかに、もっと豊かに、映っていたから。

    視覚が優位で、見たものを、映像のまま、正確に記憶する子だった。
    信号の色の順番だって、正確に言えた(大人でも、あやふやな人は多いのに)。
    

    ばーばの、宝物

    私の母──息子にとっての、ばーばは、専門的なことは何も知らなかった。
    でも、息子の言葉が遅いと聞いても、こう言った。

    「言葉は遅いねぇ。でも、ちゃんと通じ合えてるから、大丈夫。素直で、こんなに可愛い子、いないよ。宝物だよ。」

    ばーばは、特性とか、診断とか、そういうものの前に、ただまっすぐ、この子を「宝物」と呼んだ。

    そして、息子の記憶力や、色の感性には、いつも驚いていた。
    「えー、どうして、こんなこと覚えてるの?」
    「この子は、天才だねぇ。」

    私も、息子を「tesoro(テゾーロ)」と呼んでいる。イタリア語で、「宝物」。

    日本語で「宝物」と呼ぶ、ばーば。
    イタリア語で「tesoro」と呼ぶ、私。

    この子は、二つの言葉で、宝物と呼ばれて育った。

    3年目の、朝顔

    その朝顔は、息子が1年生のとき、学校の授業で育てた、あの朝顔から始まった。
    夏休み、家に持ち帰って、一緒に育てた。

    花が終わると、ばーばが、その種を、大事にとっておいてくれた。

    2年生の夏、ばーばと息子は、その種を、また一緒にまいた。
    二人で、水をやって、つるが伸びるのを見守った。

    そして、3年目の今年。
    ばーばは、大腸のがんが、肝臓にも広がって、入院している。
    畑の手入れも、庭の草取りも、する人がいなくなった。

    それでも──朝顔は、咲いた。

    雑草に囲まれて、栄養もじゅうぶんじゃないのに、あのオーキッド色の花を、いくつも咲かせた。

    ばーばがいなくても。手をかけられなくても。
    3年間、つないできた種は、ちゃんと、命をつないで、咲いていた。

    その花の色を、息子は、「オーキッド」と名づけた。

    「星さんも出てるよ」と、小さな指で空を教えてくれた、あの子が。
    言葉が遅いと、私が眠れぬ夜を過ごした、あの子が。

    今、こんなに美しい言葉で、色を語っている。

    あなたの子の「違い」も、きっと言葉が遅くても。
    みんなと同じ言い方ができなくても。

    その子は、世界を、誰よりも豊かに、正確に、美しく見ているのかもしれない。

    「青いピンク」と言った息子は、間違っていなかった。
    むしろ、いちばん本当の色を、見ていた。

    もし今、あなたが、あの頃の私のように、眠れない夜を過ごしているなら。
    専門書を積み上げて、必死になっているなら。

    どうか、少しだけ、覚えていてほしい。

    あなたの子が、指さす空を。
    全身で表す、電車の音を。
    「違う」と言い張る、色の名前を。

    それは、その子だけが見ている、豊かな世界からの、贈り物かもしれないから。

    いつか、あなたも、出会えるかもしれない。
    あなたの子の、「オーキッド」に。

    ばーばが育てた庭で、今日も朝顔が咲いています。
    オーキッド色の、あの花が。

    ばーばに、写真を見せてあげようと思います。
    「ママ、3年目の朝顔、咲いたよ」って。

    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。「一人じゃないよ」を、世界中の親に届けたくて、書いています。

  • 一瞬、潜れた日── ASDのLUCAと、お風呂で積み重ねた2年間

    「Mammaのおかげだよ!」

    「Mamma、あれやったんだよ。そしたら、できたんだよ! Mammaのおかげだよ!」

    お風呂の中で、LUCAが、キラキラした目で、そう言った。
    その日、LUCAは、生まれて初めて、プールで、一瞬、潜れた。

    ほんの一瞬。
    でも、それは、2年間の積み重ねの、結晶だった。

    2年前から、始めていた

    引かないで聞いてほしい。
    私たちは、この「一瞬」のために、2年間、練習してきた。

    小学校1年生の、5月頃。
    「6月からプールがあるから、お水に顔をつける練習をしようかな」と思った。
    でも、気づいた。
    LUCAは、朝、手についた水で顔を洗うことはできるのに、洗面器に顔をつけることが、できなかった。

    あらら、どうしよう。

    でも、LUCAは、お水が大好き。お風呂が大好き。
    そして、1年生のとき、本人が言った。
    「できるなら、泳いでみたい。」

    その一言から、長い長い、お風呂での練習が始まった。

    ステップ1〜6、2年間の記録

    ① お湯を多く含んだタオルで、目と鼻をぬぐう。
    嫌がるから、片方の鼻ずつ始めた。やがて、目も拭えるようになった。

    ② 口だけ、シャワーをかけて、ぶくぶくして遊ぶ。
    これは、できるようになった。

    ③ 片方ずつ、ほっぺにシャワーをかける。
    「怖い、怖い」と嫌がった。慣れるまで、数ヶ月かかった。

    ④ 鼻に、さっとシャワーをかける。
    これが、まったくできなかった。「息ができない」「鼻に水が入る」と嫌がった。
    うーーーん。── 中断。

    ⑤ 3年生に、なってしまった。
    息を大きく吸って、止めて、口か片方のほっぺにシャワーをかける。
    これが、なぜか面白かったらしく、2日に1回、するようになった。

    ⑥ 思い切って、「おでこと目にかけてみよう」と提案。
    「いいよ」とLUCA。
    息を吸って、止めて、シャー。
    ── 成功。

    手でぬぐう方法を教えた。二人羽織のように、同じ向きで座って。
    「かけるよー」
    「はい、大きく息吸って、止める」
    ジャー。
    手でぬぐうのを、一緒にやる。

    これが、できるようになったのは、プールの数日前だった。
    練習場所は、ずっと、お風呂。

    もうひとつの練習 ── 立ったまま、着替える

    ASDで低緊張のあるLUCAには、もうひとつ、大きな壁があった。
    立ったまま、着替えること。

    低緊張の人と関わったことがないと、わからないかもしれない。
    立っている姿勢を保つだけで、体幹を維持するために、スタミナを消費してしまう。
    その上、片足立ちになって、手でズボンを引き上げる。
    2つのことを同時にやるのが、ものすごく大変なのだ。

    学校のプールではないから、立ったままの着替えが必要になる。
    でも、LUCAには、それが難しい。
    だから、家で、何度も練習した。壁に背中をつけて、寄りかかりながら、着替える。これも、うまくいった。

    プールの日

    今年から、校内のプールがなくなり、フィットネスクラブでのプール授業になった。
    バスで移動する。LUCAは、バス移動に、わくわくしていた。

    でも、初めて行く場所。トイレの位置。トイレに行きたくなったらどうしよう。
    実は、LUCAには、頻尿の悩みがあった。
    1年生のときは、ひどいと1時間に7回。やっと、最近、落ち着いてきたところだった。
    だから、トイレについては、不安そうだった。

    私は、先生に伝えておいた。
    「いつでもトイレに行かせてください。水嫌いにならないよう、楽しめる程度のご指導でお願いします。」

    それでも、LUCAは、全体的には、楽しみにしていた。

    そして、潜れた

    その日の夜、お風呂で、LUCAが、それはそれは嬉しそうに、柔らかい笑顔で、キラキラ生き生きした目で、話してくれた。

    「ほんの一瞬だけど、潜れたんだよ! 目も開けてたんだから(ゴーグル使って)!」

    私は、驚いて、言った。
    「えー、嬉しい! すごいね! 頑張ったんだね〜!」
    すると、LUCAは。

    「Mammaと、息止める練習してたから、あれやったんだよ。そしたら、できたんだよ! Mammaのおかげだよ!」

    私は、泣きそうになった。
    「Mammaのおかげ」なんて言える子に、育っていた。

    「えー、LUCAが頑張ったからだよ。」
    そう言うと、LUCAは。
    「でも、すごい頑張ったから、疲れたよ。」と、笑顔で言った。

    私は、LUCAを、ぎゅっと抱きしめた。

    「Sono fiera di te.(あなたを、誇りに思う)」

    イタリア語で、そう言って、baci(キス)をした。
    LUCAは、このイタリア語を、知っている。

    「何度も、すごく頑張って、挑戦したんだね。かっこいいね。」
    そう言うと、LUCAは、どんどん話してくれた。

    「僕、潜れたんだよ。」
    「プール、少し冷たかったから、トイレ心配だったけど、休憩中に行ったよ。」
    「最初、すごく心配だったけど、嫌なことも何もなくて、楽しかったよ。」

    そして、ちょっと笑いながら、軽やかな口調で、私を抱きしめながら、こう言った。

    「ねぇ、ママ、僕、潜れて、すごいよね??」

    その日は、ふたりで、ずっと、喜び合っていた。

    帰り道、踏切がA型からB型になっていた

    LUCAは、その日の帰り道のことも、教えてくれた。

    バスの窓から見た、いつもの踏切。
    その踏切が、A型から、B型に、変わっていたこと。
    帰りは、いつもと違う道路を通ったこと。

    ASDのLUCAの脳は、こういう「世界の細部」を、正確に記録している。
    プールで、初めて潜れた日。その同じ日に、踏切の型が変わったことに気づく脳。

    これが、LUCAの見ている世界。誰よりも、繊細で、正確で、美しい世界。

    翌日、LUCAは、学校を休んだ

    プールの日、帰宅してから、LUCAは言った。
    「疲れすぎて、宿題できない。」
    「やらなくていいよ。」私は、そう言った。
    いつもより早く寝た。

    でも、翌朝、LUCAは、起きられなかった。
    「お願い、休ませて。疲れて、行けない。」目が、開かない。機嫌も、少し悪そう。
    「お願い、ママ。お願い。」淡々と、でも、懇願するように、LUCAが言った。

    私は、すぐに、切り替えた。
    ──昨日、あんなに頑張ったんだもの。心も体も、疲れ切ったんだな。

    「いいよ。休もう。」

    LUCAは、「ありがとう。ありがとう。」と言った。

    その夜、LUCAが教えてくれたこと

    その日の夜、私が食器を洗っていると、LUCAが、後ろから、ぎゅっと抱きついてきた。

    「今日は、休ませてくれて、ありがとう。本当に助かったよ。」
    「僕に、『言うこと聞け』ってしないで、僕の気持ちを聞いてくれて、ママ、ありがとう。いつも好き。」

    そして、こう言った。
    「明日は、行くからね。」

    機嫌よく、そう言ってくれた。

    同じように、頑張る子を育てている、あなたへ

    「一瞬、潜れた」
    定型発達の子なら、当たり前にできることかもしれない。

    でも、ASDで、低緊張で、感覚過敏のあるLUCAにとって、それは、2年間の積み重ねの、結晶だった。

    シャワーを顔にかける練習を、お風呂で、何百回も。
    壁に寄りかかって着替える練習を、何度も。
    頻尿の不安を抱えながら、知らない場所のプールへ。

    そして、潜れた。
    たった一瞬。

    その「一瞬」が、どれほど尊いか。
    同じ子を育てている、あなたなら、わかると思う。

    そして ── 頑張った翌日、学校を休むこと。
    それは、「怠け」じゃない。
    ASDの子の、当たり前のエネルギーのリズム。
    全力で頑張った分、必ず、充電の時間がいる。

    私は、決めている。
    家は、責められない場所。居場所がある場所。

    1日休んだからって、何も変わらない。
    むしろ、休ませてあげた方が、また学校に行く気力が、生まれる。
    味方がいれば、頑張れる。

    私は、LUCAの空母でいたい。
    戦って、疲れて、帰ってきたら、いつでも、安心して着地できる場所。
    燃料を満タンにして、また飛び立てる場所。
    それが、私の役目。

    LUCAは、今日も、自分のペースで、世界と戦っている。
    そして、お風呂で、こっそり、次の「一瞬」のための練習を、続けている。

    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。「一人じゃないよ」を、世界中の親に届けたくて、書いています。

    autism-mama-diary.com

  • 昇降口で寝ていた先輩 ── みんなと同じじゃなくて、いい

    「たいちゃん、起きて、起きて」

    息子には、大好きな先輩がいた。たいちゃん、と呼んでいた。

    たいちゃんは、いつも、寝ていた。

    朝、学校に着くと、先生から逃げるか、昇降口で横になって寝ている。

    迎えに行くと、また三角座りのまま、こっくり。

    支援学級でも、窓辺か、トランポリンの上で、いつも寝ていた。

    駐車場で、たいちゃんのお母さんが先生を呼んで、先生が抱っこして教室へ運んでいく ──

    それが、だいたい、毎日の風景だった。そして午後になると、ぱっと目が覚めて、一気に授業をこなすらしい(笑)。

    うちの息子は、そんなたいちゃんが、大好きだった。

    「たいちゃん、起きて、起きて」そう言って、ゆさゆさ揺するのが、楽しくて、楽しくて。

    たまに、たいちゃんが起きる。

    すると、こちょこちょ返しをされて、「困るんだよー」と言いながら、息子は、とびきりの笑顔で、その話をしてくれた。

    先生が、寝ているたいちゃんを起こそうとすると、息子は、その間に割って入る。

    「僕が起こす! 僕が起こす!」

    それはもう、楽しそうに。

    たいちゃんが、くれたもの

    たいちゃんは、寝てばかりの先輩だったけれど、息子に、たくさんのものをくれた。

    七夕の短冊の飾りを、優しく、丁寧に、教えてくれた。

    算数のドリルを、一緒にやってくれた。

    長縄跳びに入るタイミングが分からなかった息子に、見本を見せて、一緒に練習してくれた。

    おかげで、息子は、すぐに縄に入れるようになった。

    1年生の時、毎日やっていた1分間の短縄跳びを、応援してくれた。

    廊下で会うと、「バイバイ」と、挨拶してくれた。

    レゴで、機関車を作ってくれた。

    電車を、作ってくれた。

    その頃、息子は、不登校だった。

    でも ── コミュニケーションが難しかった息子が、ちょうど「人と関わりたい」と思い始めた、その大切な時期に、たいちゃんがいてくれた。

    それは、本当に、ありがたいことだった。

    「今日、たいちゃんいたよ。昇降口で、暑そうに寝てたよ」

    「たいちゃん、起きて、算数やってた」

    息子は、そんな風に、たいちゃんのことを、毎日、楽しそうに教えてくれた。

    それが、少しずつ、直っていった。たいちゃんだけのおかげ、とは言わない。

    「昇降口、くるっと回っておいで」

    3年生になった息子は、今、少し、しんどい時期にいる。


    集団が、とても苦手な子だ。


    休み時間、教室にいると、疲れてしまう。逃げ場が、なくなってしまう時がある。


    そんな息子に、私は、言ってみた。


    「しんどくなったら、昇降口を、くるっと回って、帰っておいで。そしたら、5分か10分の休み時間、終わってるよ。


    それか、保健室の、優しい先生に、会いに行きな。たいちゃんみたいに。
    ずっと寝てるわけじゃなくていいから、それくらい、していいんだよ」


    たいちゃんの名前を出した瞬間、息子の目に、ぱっと、光が入った。


    ニコッとして、「会いたいなー」。


    そして、
    「あ、そっか。昇降口、くるっとね。たいちゃん、昇降口くるっと回って、先生から逃げてたなー」


    と、懐かしそうに、笑った。


    「たいちゃん、元気かなー」


    そう言って笑う息子を見て、私は、思った。


    たいちゃんは、ただ寝ていた先輩じゃない。


    息子に、「みんなと同じじゃなくても、いいんだよ」「自分のペースで、いていいんだよ」ということを、その背中で、教えてくれていたんだ、と。


    昇降口で寝てもいい。


    先生から逃げてもいい。


    午後から、一気に頑張ってもいい。


    たいちゃんが、そうやって、自分のやり方で学校にいたから

    ── 息子も、「そういう居方が、あっていいんだ」と、知ることができた。


    集団が苦手な子に必要なのは、「みんなと同じにさせる」ことじゃない。


    逃げ場と、安心できる人。


    それは、甘えじゃない。


    生き延びるための、大切な知恵だ。


    少し前の、自分に言いたいこと


    もし、少し前の ── よく泣いていた頃の自分に、声をかけられるなら。


    私は、こう言いたい。


    みんなと同じじゃなくて、いい。


    その子には、その子のタイミングがある。


    そのタイミングで、必ず、成長していくから。


    だから、待ってあげて。信じてあげて。


    みんなと同じじゃないから、目立つし、心配で、不安で、私も、よく泣いてしまった。


    でも ── ちゃんと、成長してる。

    本当に。


    難しさも、丸ごと、受け止めてあげたい。
    集団の中では、ちょっとした工夫の声かけを。


    大げさかもしれないくらいの、共感を。


    そして、ただただ、ニコッと微笑んで、信じてあげて。


    低緊張の子、協調運動の苦手な子を育てている、おうちの方へ。


    すごく、もどかしいですよね。


    私も、そうでした。


    でも ── 必ず、少しずつ、成長します。
    たいちゃんが、寝ながら、自分のペースで大きくなっていったように。


    息子が、たいちゃんに憧れて、少しずつ、人と関わり始めたように。


    あなたのお子さんも、あなたも、大丈夫。


    その子のタイミングを、信じて、待ってあげてください。


    必ず、成長します。


    本当に。


    たいちゃん、元気かな。


    あの、とびきり優しい先輩に、いつか、お礼を言いたいな。


    「あなたのおかげで、うちの子、少しずつ、前に進めています」って。

    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。「一人じゃないよ」を、世界中の親に届けたくて、書いています。