投稿者: autismmama

  • 感情が先に出てしまう、あなたへ

    「知ってしまったからこその、こわさ」と「祈るような想い」——その狭間

    ​看護師として働いている私は、数字の意味を知っている。

    好中球がいくつあれば治療ができるのか。 アルブミンがどのくらい下がると厳しいのか。 肝機能の数値が何を語っているのか。

    ——でも、それが母の血液検査だと、話は別だった。

    明日、採血がある。 そう思うだけで、胸がざわざわする。 知識があるぶん、悪い数字の意味まで、先に見えてしまうから。

    「分かるようになってしまった」人たち

    これは、医療者だけの話ではないと思う。

    大切な人が病気になったとき、家族は、いつの間にか詳しくなる。

    先生の説明を、必死にメモして。分からない言葉を、家に帰って調べて。 検査結果の紙を、何度も見返して。

    誰も、そんな知識を望んでいたわけじゃないのに。

    気づけば、数字の意味が分かるようになっている。 次に何が起こりうるかも、想像できるようになっている。

    看護師の娘も、そうやって覚えた家族も、立っている場所は同じだ。

    知りたくて、知ったんじゃない。

    ただ、その人を、守りたかっただけ。

    知っているから、こわい

    「詳しいんだから、落ち着いていられるでしょう」 そう思われることがある。

    でも実際は、逆のことも多い。

    知っているからこそ、こわい。

    数字の向こうにある可能性を、ぜんぶ想像できてしまうから。 何も知らなければ、ただ結果を待てたかもしれない。

    でも私たちは、待っているあいだに、いくつもの未来を見てしまう。

    それでも、順番がある

    感情が先に出てしまう自分を、私は長いあいだ責めていた。

    もっと冷静でいなきゃ。理性で判断しなきゃ。 でも、最近、こう思うようになった。

    感情を消す必要は、ない。

    大事なのは、順番なのだと思う。

    こわい。緊張する。泣きそうだ。 ——それは、そのまま感じていい。

    そのうえで、判断するときだけ、数字と事実を見る。 それでいい。

    感情が出るのは、弱さじゃない

    理性だけで動ける人なんて、いない。 もしいたとしたら、その人はきっと、そこまで深く誰かを想っていない。

    感情が先に出るのは、あなたが、その人を愛しているからだ。

    調べる頭と、震える心。

    両方あるから、しんどい。 でも、両方あるから、そばにいられる。

    吐き出す場所を、持っていて

    ひとつだけ、お願いがあります。

    感情を、どこかで出してください。

    友人でも、家族でも、日記でも、ひとりごとでも。 溜め込んで、理性だけで走り続けると、どこかで必ず、折れてしまうから。

    出して、落ち着いて、それから考える。 その順番さえあれば、大丈夫。

    今日できることだけ

    先の検査結果は、私にはどうにもできない。 でも、今日、母に何か食べてもらうことはできる。

    それだけに集中すればいい。

    どうにもならないことは、手放していい。 手の中にあることだけ、やればいい。

    大切な誰かのそばにいる、あなたへ。

    こわがっていい。 泣いていい。

    そして、明日また、ごはんを運べばいい。

    それで、じゅうぶんです。

    訪問看護師として働きながら、ASD・低緊張のある息子を育てるシングルマザー。母はステージIVの大腸がん・多発性肝転移。「ひとりじゃないよ」を、世界のどこかの誰かに届けたくて書いています。

  • 「僕のこと、分かってるかな」——一生懸命な先生ほど、こう思っている

    走ってきてくれた先生

    書道の授業のあと、補助で入ってくださっている先生が、息子の書いた半紙を持って、走って私のところにやってきた。

    「これから捨てるのもったいないから」

    そう言って、プレゼントしてくれたのは、力強く書かれた「土」の一文字だった。
    その数週間前にも、同じ先生からこんな言葉をいただいていた。

    「お母さん、Lucaくんのお母さん。見て、”二”上手に力強く書けているでしょ〜」

    まるで自分のことのように、自慢するように褒めてくださった。

    私は息子から、その先生のことを聞いていた。下の名前で呼んでいたので、最初は誰のことか分からなかったけれど、「なおこ先生ですか?」と聞いたら、「そう、そう」と。

    「いつもありがとうございます。なおこ先生、いつも来てくれて、ありがたいよ、と息子も言っていました」

    そう伝えると、なおこ先生はこう続けた。

    「筆ね、あれ難しいんだよー」

    そして次の授業のあと、息子から聞いた話も伝えた。
    書いたばかりの、まだ乾いていない紙を持っていくとき、バリッと破れてしまったこと。そのとき、なおこ先生が「紙持ってるところ、引っ張らないで持てば大丈夫よー」と教えてくれて、それ以来破けなくなったこと。

    それを話したら、先生の表情が変わった。

    「嬉しい。私のこと分かってるかな?って思ってたから」

    ベテランの先生も、不安になる

    なおこ先生は、1年生の補助に入ってくださっているベテランの先生だ。
    無駄ににこにこするタイプではないけれど、とても丁寧で、的確な指導をしてくださる。

    「こう書くのよ」「左手は、こう紙を広げるように押さえると書きやすいよ」

    そう教えると、息子は一生懸命やる。
    「素直で、本当に気持ちのいい子で」と言ってくださった。

    「あ、それ聞いたことあります」と私が答えると、
    「えー嬉しい。私のこと話してくれて、えー嬉しいわ」

    ベテランの、経験も実力もある女性の先生が、「分かってるかな」と不安に思っていたという事実に、私は静かに驚いた。

    同じ言葉を言っていた、もう一人の先生

    実はこれと同じ言葉を、別の先生からも聞いたことがある。
    息子の親学級の2年生の担任の、男性の先生だ。

    まだ若手だけれど、3か月経っても声をかけ続けてくれる、熱意のある先生。
    今でも会えば、息子に声をかけてくれる。

    その先生も、担任になって数か月経った頃、こう言っていた。

    「僕のこと、分かってるかな?」

    ベテランと若手。年齢も経験も違う。
    けれど、共通していたのは「一生懸命さ」だった。

    なぜ、一生懸命な先生ほど不安になるのか

    最初は不思議だった。経験のある先生の方が、もっと自信を持って関わっているものだと思っていたから。
    でも、考えてみると分かる気がした。

    手を抜いている人は、そもそも「伝わっているかな」なんて考えない。
    真剣に向き合っているからこそ、子どもの反応の薄さに、揺らぐ。

    自閉症の子どもは、目を合わせることに慣れていない。リアクションも分かりやすい形では返ってこないことが多い。
    だから、一生懸命に関わってくれている大人ほど、自分の関わりが届いているのか分からなくなる。

    これは、子どもの特性の話だけではなく、反応の読みにくい子どもと向き合う、一生懸命な大人が抱える孤独の話なのだと思う。

    先生たちは、子どもの内側で何が起きているか、見えない。
    でも私たち親には、子どもが家でぽつりぽつりと話してくれる言葉から、それが見える。

    「なおこ先生、ありがたいよ」
    「紙、破れなくなったよ」

    子どもの言葉は、ちゃんと先生に届いていた証拠だった。
    ただ、それを先生本人に伝える機会が、なかっただけ。

    伝えることの意味

    あの日、なおこ先生に息子の言葉を伝えたとき、ベテランの先生の顔がふっと緩んだ。
    「嬉しい」という言葉を、二度も口にしてくれた。

    その姿を見て思った。

    子どもの心の中にある感謝や信頼は、放っておいても伝わるものではない。
    誰かが、橋渡しをしなければ、届かないまま終わってしまうこともある。

    だから私は、これからも伝えていきたいと思う。
    子どもが教えてくれた、小さな感謝の言葉を。

    一生懸命な先生たちが、「ちゃんと届いているよ」と知ることができるように。


    次回予告
    次回は、2年生の頃の担任の先生との、もう一つのエピソードを書こうと思います。息子が今でも尊敬している、その男性の先生との話。

  • 「星さんも出てるよ」──言葉の少なかった息子が、教えてくれた世界

    オーキッド、という色

    1年生になった息子が、朝顔の観察日記に、こう書いていた。

    「花の色は、オーキッドだった。」

    ……オーキッド?

    母である私は、正直、その色を知らなかった。

    あわてて調べてみると、たしかにあった。淡い紫に、そっとピンクを溶かしたような、蘭の花の色。

    そういえば、うちの庭に咲いた朝顔は、まさにその色をしていた。「むらさき」でも「ピンク」でもない、その両方がやさしく混ざりあった、あの色。

    息子は、どこでこんな言葉を見つけてきたのだろう。

    自分で調べて、たくさんの色の名前の中から、いちばんぴったりの一つを選んだらしい。

    私は、驚きながら、少しだけ泣きそうになった。

    だって、この子は──言葉が、とても遅い子だったから。

    ゲボを吐きそうだった、あの日々

    正直に書く。

    息子が小さい頃、私は、言葉の遅れが心配で、心配で、たまらなかった。

    本を、たくさん買った。育児書だけじゃなく、言語聴覚士が書いた専門書まで。

    夜は眠れなくて、睡眠導入剤を飲むようになったのも、ちょうどこの頃だ。

    2歳のとき、不安で夫に相談したら、「他の子と比べるな」と言われた。それきり、私は一人で抱えることにした。

    「1日に3800語、子どもに言葉を聞かせるといい」──そんな話を知って、私は必死に実践した。

    物語を語り、自分の動作をぜんぶ実況し、自分の気持ちも、息子が言えたらいいなと思う言葉も、目に映ったものも、とにかく声に出し続けた。

    もともと、私はそんなにおしゃべりな方じゃない。喋り続けるのは、正直、ストレスだった。

    それでも、この子のためならと、言葉のシャワーを、毎日、浴びせ続けた。

    「ゲボ吐きそう」だった、あの日々。

    今は、笑って書ける。でも、あの頃は、本当に必死だった。

    でも、私は知っていた

    それでも、私は、どこかで知っていた。

    この子は、ちゃんと世界を理解している、と。

    なぜなら──1歳になる前から、息子は「指」で、私と話してくれていたから。

    夜、お月様が出ていると、指でお月様を指さして、にこにこ笑って、教えてくれた。「お月様、出てるよ」って。

    星が見えると、空を指さして、両手をキラキラさせて、私をとんとんと叩いてから、教えてくれた。「星さんも、出てるよ」って。

    雨が降ると、手を「おいで、おいで」するみたいに動かして、「雨、降ってる」と伝えてくれた。

    「まんま(ママ)」と言い、なぜか「だいだい(dai dai)」ともよく言った。

    私がイタリアで過ごした時間が、この子の最初の言葉に、そっと溶けこんでいた。

    電車を見に行くと、「たたんたたん、たたんたたん、えーーーい!」と、大きな声で(笑)。1歳半になる前のことだ。

    あの全身での表現に、私はいつも笑わされていた。

    言葉は、少なかった。

    でも、この子は、言葉より豊かな方法で、世界の美しさを、私に伝えてくれていた。

    「ママ、見て。きれいだよ。」

    そう言うように、小さな指で、空を指さして。

    色だけは、饒舌だった

    もう少し大きくなっても、息子は、既成の言葉に、丸めこまれなかった。

    紫色を見せて「これは紫だよ」と教えても、息子は言った。

    「青いピンク」。

    赤みの強い紫を見ると、

    「赤い青」。

    青みが強ければ、また違う言い方をした。

    いつも、強く見える色を、先に言った。

    「紫って言うんだよ」と教えても、「違う」と、はっきり言われた。

    最初は、戸惑った。どうして、覚えてくれないんだろう、と。

    でも、あるとき、気づいた。

    この子は、間違っているんじゃない。

    私たちより、本当の色を、見ているんだ。

    紫は、たしかに、青と赤が混ざった色。息子は、その中にある青と赤を、ちゃんと見分けていた。

    どちらが強いかまで、見えていた。

    「紫」という一つの名前では、足りなかったのだ。

    この子の目には、世界が、もっと細やかに、もっと豊かに、映っていたから。

    視覚が優位で、見たものを、映像のまま、正確に記憶する子だった。

    信号の色の順番だって、正確に言えた(大人でも、あやふやな人は多いのに)。

    ばーばの、宝物

    私の母──息子にとっての、ばーばは、専門的なことは何も知らなかった。

    でも、息子の言葉が遅いと聞いても、こう言った。

    「言葉は遅いねぇ。でも、ちゃんと通じ合えてるから、大丈夫。素直で、こんなに可愛い子、いないよ。宝物だよ。」

    ばーばは、特性とか、診断とか、そういうものの前に、ただまっすぐ、この子を「宝物」と呼んだ。

    そして、息子の記憶力や、色の感性には、いつも驚いていた。

    「えー、どうして、こんなこと覚えてるの?」

    「この子は、天才だねぇ。」

    私も、息子を「tesoro(テゾーロ)」と呼んでいる。イタリア語で、「宝物」。

    日本語で「宝物」と呼ぶ、ばーば。イタリア語で「tesoro」と呼ぶ、私。

    この子は、二つの言葉で、宝物と呼ばれて育った。

    3年目の、朝顔その朝顔は、息子が1年生のとき、学校の授業で育てた、あの朝顔から始まった。

    夏休み、家に持ち帰って、一緒に育てた。

    花が終わると、ばーばが、その種を、大事にとっておいてくれた。

    2年生の夏、ばーばと息子は、その種を、また一緒にまいた。

    二人で、水をやって、つるが伸びるのを見守った。

    そして、3年目の今年。

    ばーばは、大腸のがんが、肝臓にも広がって、入院している。

    畑の手入れも、庭の草取りも、する人がいなくなった。

    それでも──朝顔は、咲いた。雑草に囲まれて、栄養もじゅうぶんじゃないのに、あのオーキッド色の花を、いくつも咲かせた。

    ばーばがいなくても。

    手をかけられなくても。3年間、つないできた種は、ちゃんと、命をつないで、咲いていた。

    その花の色を、息子は、「オーキッド」と名づけた。

    「星さんも出てるよ」と、小さな指で空を教えてくれた、あの子が。

    言葉が遅いと、私が眠れぬ夜を過ごした、あの子が。

    今、こんなに美しい言葉で、色を語っている。

    あなたの子の「違い」も、きっと言葉が遅くても。

    みんなと同じ言い方ができなくても。

    その子は、世界を、誰よりも豊かに、正確に、美しく見ているのかもしれない。

    「青いピンク」と言った息子は、間違っていなかった。

    むしろ、いちばん本当の色を、見ていた。

    もし今、あなたが、あの頃の私のように、眠れない夜を過ごしているなら。

    専門書を積み上げて、必死になっているなら。

    どうか、少しだけ、覚えていてほしい。

    あなたの子が、指さす空を。

    全身で表す、電車の音を。

    「違う」と言い張る、色の名前を。

    それは、その子だけが見ている、豊かな世界からの、贈り物かもしれないから。

    いつか、あなたも、出会えるかもしれない。

    あなたの子の、「オーキッド」に。

    ばーばが育てた庭で、今日も朝顔が咲いています。

    オーキッド色の、あの花が。

    ばーばに、写真を見せてあげようと思います。「ママ、3年目の朝顔、咲いたよ」って。

  • 一瞬、潜れた日── ASDのLUCAと、お風呂で積み重ねた2年間

    /

    「Mamma、あれやったんだよ。そしたら、できたんだよ! Mammaのおかげだよ!」お風呂の中で、LUCAが、キラキラした目で、そう言った。その日、LUCAは、生まれて初めて、プールで、一瞬、潜れた。ほんの一瞬。でも、それは、2年間の積み重ねの、結晶だった。

    2年前から、始めていた引かないで聞いてほしい。

    私たちは、この「一瞬」のために、2年間、練習してきた。小学校1年生の、5月頃。「6月からプールがあるから、お水に顔をつける練習をしようかな」と思った。

    でも、気づいた。

    LUCAは、朝、手についた水で顔を洗うことはできるのに、洗面器に顔をつけることが、できなかった。

    あらら、どうしよう。

    でも、LUCAは、お水が大好き。

    お風呂が大好き。

    そして、1年生のとき、本人が言った。「できるなら、泳いでみたい。」その一言から、長い長い、お風呂での練習が始まった。

    ステップ1〜6、2年間の記録

    ① お湯を多く含んだタオルで、目と鼻をぬぐう。嫌がるから、片方の鼻ずつ始めた。やがて、目も拭えるようになった。

    ② 口だけ、シャワーをかけて、ぶくぶくして遊ぶ。これは、できるようになった。

    ③ 片方ずつ、ほっぺにシャワーをかける。「怖い、怖い」と嫌がった。慣れるまで、数ヶ月かかった。

    ④ 鼻に、さっとシャワーをかける。これが、まったくできなかった。「息ができない」「鼻に水が入る」と嫌がった。

    うーーーん。── 中断。

    ⑤ 3年生に、なってしまった。

    息を大きく吸って、止めて、口か片方のほっぺにシャワーをかける。

    これが、なぜか面白かったらしく、2日に1回、するようになった。

    ⑥ 思い切って、「おでこと目にかけてみよう」と提案。

    「いいよ」とLUCA。

    息を吸って、止めて、シャー。

    ── 成功。

    手でぬぐう方法を教えた。二人羽織のように、同じ向きで座って。

    「かけるよー」

    「はい、大きく息吸って、止める」

    ジャー。

    手でぬぐうのを、一緒にやる。

    これが、できるようになったのは、

    プールの数日前だった。

    練習場所は、ずっと、お風呂。

    もうひとつの練習

    ── 立ったまま、着替える

    ASDで低緊張のあるLUCAには、もうひとつ、大きな壁があった。

    立ったまま、着替えること。

    低緊張の人と関わったことがないと、わからないかもしれない。

    立っている姿勢を保つだけで、体幹を維持するために、スタミナを消費してしまう。

    その上、片足立ちになって、手でズボンを引き上げる。

    2つのことを同時にやるのが、ものすごく大変なのだ。

    学校のプールではないから、立ったままの着替えが必要になる。

    でも、LUCAには、それが難しい。

    だから、家で、何度も練習した。壁に背中をつけて、寄りかかりながら、着替える。これも、うまくいった。

    プールの日

    今年から、校内のプールがなくなり、フィットネスクラブでのプール授業になった。

    バスで移動する。LUCAは、バス移動に、わくわくしていた。

    でも、初めて行く場所。

    トイレの位置。

    トイレに行きたくなったらどうしよう。

    実は、LUCAには、頻尿の悩みがあった。

    1年生のときは、ひどいと1時間に7回。

    やっと、最近、落ち着いてきたところだった。

    だから、トイレについては、不安そうだった。

    私は、先生に伝えておいた。

    「いつでもトイレに行かせてください。水嫌いにならないよう、楽しめる程度のご指導でお願いします。」

    それでも、LUCAは、全体的には、楽しみにしていた。

    そして、潜れた

    その日の夜、お風呂で、LUCAが、それはそれは嬉しそうに、柔らかい笑顔で、キラキラ生き生きした目で、話してくれた。

    「ほんの一瞬だけど、潜れたんだよ! 目も開けてたんだから(ゴーグル使って)!」

    私は、驚いて、言った。

    「えー、嬉しい! すごいね! 頑張ったんだね〜!」

    すると、LUCAは。

    「Mammaと、息止める練習してたから、あれやったんだよ。そしたら、できたんだよ! Mammaのおかげだよ!」

    私は、泣きそうになった。

    「Mammaのおかげ」なんて言える子に、育っていた。

    「えー、LUCAが頑張ったからだよ。」

    そう言うと、LUCAは。

    「でも、すごい頑張ったから、疲れたよ。」と、笑顔で言った。

    私は、LUCAを、ぎゅっと抱きしめた。

    「Sono fiera di te.

    (あなたを、誇りに思う)」

    イタリア語で、そう言って、baci(キス)をした。

    LUCAは、このイタリア語を、知っている。

    「何度も、すごく頑張って、挑戦したんだね。かっこいいね。」

    そう言うと、LUCAは、

    どんどん話してくれた。

    「僕、潜れたんだよ。」

    「プール、少し冷たかったから、トイレ心配だったけど、休憩中に行ったよ。」

    「最初、すごく心配だったけど、嫌なことも何もなくて、楽しかったよ。」

    そして、ちょっと笑いながら、軽やかな口調で、私を抱きしめながら、こう言った。

    「ねぇ、ママ、僕、潜れて、すごいよね??」

    その日は、ふたりで、ずっと、喜び合っていた。

    帰り道、

    踏切がA型からB型になっていた。

    LUCAは、その日の帰り道のことも、教えてくれた。

    バスの窓から見た、いつもの踏切。

    その踏切が、A型から、B型に、変わっていたこと。

    帰りは、いつもと違う道路を通ったこと。

    ASDのLUCAの脳は、こういう「世界の細部」を、正確に記録している。

    プールで、初めて潜れた日。その同じ日に、踏切の型が変わったことに気づく脳。

    これが、LUCAの見ている世界。誰よりも、繊細で、正確で、美しい世界。

    翌日、LUCAは、学校を休んだ。

    プールの日、帰宅してから、LUCAは言った。

    「疲れすぎて、宿題できない。」

    「やらなくていいよ。」私は、そう言った。

    いつもより早く寝た。

    でも、翌朝、LUCAは、起きられなかった。

    「お願い、休ませて。疲れて、行けない。」目が、開かない。

    機嫌も、少し悪そう。

    「お願い、ママ。お願い。」淡々と、でも、懇願するように、LUCAが言った。

    私は、すぐに、切り替えた。

    ──昨日、あんなに頑張ったんだもの。心も体も、疲れ切ったんだな。「いいよ。休もう。」

    LUCAは、「ありがとう。ありがとう。」と言った。

    その夜、LUCAが教えてくれたこと

    その日の夜、私が食器を洗っていると、LUCAが、後ろから、ぎゅっと抱きついてきた。

    「今日は、休ませてくれて、ありがとう。本当に助かったよ。」

    「僕に、『言うこと聞け』ってしないで、僕の気持ちを聞いてくれて、ママ、ありがとう。いつも好き。」

    そして、こう言った。

    「明日は、行くからね。」

    機嫌よく、そう言ってくれた。

    同じように、頑張る子を育てている、あなたへ

    「一瞬、潜れた」定型発達の子なら、当たり前にできることかもしれない。

    でも、ASDで、低緊張で、感覚過敏のあるLUCAにとって、それは、2年間の積み重ねの、結晶だった。

    シャワーを顔にかける練習を、お風呂で、何百回も。

    壁に寄りかかって着替える練習を、何度も。

    頻尿の不安を抱えながら、知らない場所のプールへ。

    そして、潜れた。

    たった一瞬。

    その「一瞬」が、どれほど尊いか。

    同じ子を育てている、あなたなら、わかると思う。

    そして ── 頑張った翌日、学校を休むこと。

    それは、「怠け」じゃない。

    ASDの子の、当たり前のエネルギーのリズム。

    全力で頑張った分、必ず、充電の時間がいる。

    私は、決めている。

    家は、責められない場所。

    居場所がある場所。

    1日休んだからって、何も変わらない。

    むしろ、休ませてあげた方が、また学校に行く気力が、生まれる。

    味方がいれば、頑張れる。

    私は、LUCAの空母でいたい。

    戦って、疲れて、帰ってきたら、いつでも、安心して着地できる場所。

    燃料を満タンにして、また飛び立てる場所。

    それが、私の役目。

    LUCAは、今日も、自分のペースで、世界と戦っている。

    そして、お風呂で、こっそり、次の「一瞬」のための練習を、続けている。

    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。「一人じゃないよ」を、世界中の親に届けたくて、書いています。

    autism-mama-diary.com

  • 昇降口で寝ていた先輩 ── みんなと同じじゃなくて、いい

    「たいちゃん、起きて、起きて」

    息子には、大好きな先輩がいた。たいちゃん、と呼んでいた。

    たいちゃんは、いつも、寝ていた。

    朝、学校に着くと、先生から逃げるか、昇降口で横になって寝ている。

    迎えに行くと、また三角座りのまま、こっくり。

    支援学級でも、窓辺か、トランポリンの上で、いつも寝ていた。

    駐車場で、たいちゃんのお母さんが先生を呼んで、先生が抱っこして教室へ運んでいく ──

    それが、だいたい、毎日の風景だった。そして午後になると、ぱっと目が覚めて、一気に授業をこなすらしい(笑)。

    うちの息子は、そんなたいちゃんが、大好きだった。

    「たいちゃん、起きて、起きて」そう言って、ゆさゆさ揺するのが、楽しくて、楽しくて。

    たまに、たいちゃんが起きる。

    すると、こちょこちょ返しをされて、「困るんだよー」と言いながら、息子は、とびきりの笑顔で、その話をしてくれた。

    先生が、寝ているたいちゃんを起こそうとすると、息子は、その間に割って入る。

    「僕が起こす! 僕が起こす!」

    それはもう、楽しそうに。

    たいちゃんが、くれたもの

    たいちゃんは、寝てばかりの先輩だったけれど、息子に、たくさんのものをくれた。

    七夕の短冊の飾りを、優しく、丁寧に、教えてくれた。

    算数のドリルを、一緒にやってくれた。

    長縄跳びに入るタイミングが分からなかった息子に、見本を見せて、一緒に練習してくれた。

    おかげで、息子は、すぐに縄に入れるようになった。

    1年生の時、毎日やっていた1分間の短縄跳びを、応援してくれた。

    廊下で会うと、「バイバイ」と、挨拶してくれた。

    レゴで、機関車を作ってくれた。

    電車を、作ってくれた。

    その頃、息子は、不登校だった。

    でも ── コミュニケーションが難しかった息子が、ちょうど「人と関わりたい」と思い始めた、その大切な時期に、たいちゃんがいてくれた。

    それは、本当に、ありがたいことだった。

    「今日、たいちゃんいたよ。昇降口で、暑そうに寝てたよ」

    「たいちゃん、起きて、算数やってた」

    息子は、そんな風に、たいちゃんのことを、毎日、楽しそうに教えてくれた。

    それが、少しずつ、直っていった。たいちゃんだけのおかげ、とは言わない。

    「昇降口、くるっと回っておいで」

    3年生になった息子は、今、少し、しんどい時期にいる。


    集団が、とても苦手な子だ。


    休み時間、教室にいると、疲れてしまう。逃げ場が、なくなってしまう時がある。


    そんな息子に、私は、言ってみた。


    「しんどくなったら、昇降口を、くるっと回って、帰っておいで。そしたら、5分か10分の休み時間、終わってるよ。


    それか、保健室の、優しい先生に、会いに行きな。たいちゃんみたいに。
    ずっと寝てるわけじゃなくていいから、それくらい、していいんだよ」


    たいちゃんの名前を出した瞬間、息子の目に、ぱっと、光が入った。


    ニコッとして、「会いたいなー」。


    そして、
    「あ、そっか。昇降口、くるっとね。たいちゃん、昇降口くるっと回って、先生から逃げてたなー」


    と、懐かしそうに、笑った。


    「たいちゃん、元気かなー」


    そう言って笑う息子を見て、私は、思った。


    たいちゃんは、ただ寝ていた先輩じゃない。


    息子に、「みんなと同じじゃなくても、いいんだよ」「自分のペースで、いていいんだよ」ということを、その背中で、教えてくれていたんだ、と。


    昇降口で寝てもいい。


    先生から逃げてもいい。


    午後から、一気に頑張ってもいい。


    たいちゃんが、そうやって、自分のやり方で学校にいたから

    ── 息子も、「そういう居方が、あっていいんだ」と、知ることができた。


    集団が苦手な子に必要なのは、「みんなと同じにさせる」ことじゃない。


    逃げ場と、安心できる人。


    それは、甘えじゃない。


    生き延びるための、大切な知恵だ。


    少し前の、自分に言いたいこと


    もし、少し前の ── よく泣いていた頃の自分に、声をかけられるなら。


    私は、こう言いたい。


    みんなと同じじゃなくて、いい。


    その子には、その子のタイミングがある。


    そのタイミングで、必ず、成長していくから。


    だから、待ってあげて。信じてあげて。


    みんなと同じじゃないから、目立つし、心配で、不安で、私も、よく泣いてしまった。


    でも ── ちゃんと、成長してる。

    本当に。


    難しさも、丸ごと、受け止めてあげたい。
    集団の中では、ちょっとした工夫の声かけを。


    大げさかもしれないくらいの、共感を。


    そして、ただただ、ニコッと微笑んで、信じてあげて。


    低緊張の子、協調運動の苦手な子を育てている、おうちの方へ。


    すごく、もどかしいですよね。


    私も、そうでした。


    でも ── 必ず、少しずつ、成長します。
    たいちゃんが、寝ながら、自分のペースで大きくなっていったように。


    息子が、たいちゃんに憧れて、少しずつ、人と関わり始めたように。


    あなたのお子さんも、あなたも、大丈夫。


    その子のタイミングを、信じて、待ってあげてください。


    必ず、成長します。


    本当に。


    たいちゃん、元気かな。


    あの、とびきり優しい先輩に、いつか、お礼を言いたいな。


    「あなたのおかげで、うちの子、少しずつ、前に進めています」って。

  • 「治療しますか」と聞かれた日

    2026年5月1日。

    連休前の、よく晴れた日のことだった。

    その日、母は本当は「付き添い」だったはずだ。

    足の悪い父──心筋梗塞の既往と頚椎症で、長く歩けない父──の通院介助。それが、母の今日の役割だった。

    でも、父の診察を待っている廊下で、母は、倒れた。

    そのまま救急に運ばれ、検査が始まり、そして見つかったのが、ステージIVの大腸癌。多発性肝転移。

    「付き添い」だったはずの母が、患者になった。

    その日から、いろんなことが、ぐるぐると入れ替わっていった。

    主治医との初対面

    5月1日。 あの日、私は両親と一緒に、初めて主治医に会った。

    医師は、とても静かな、丁寧な口調の人だった。 病状の説明を、ゆっくりと、母にもわかるように話してくれた。

    そして、最後に、こう聞いた。

    「治療……しますか?」

    沈黙。

    母は何も答えなかった。 私も、何も言えなかった。

    その沈黙の中で、最初に口を開いたのは、父だった。

    足が悪くて、母に支えられてここまで来た父が、母の顔を見て、優しく、でも、懇願するように、言った。

    「ね、治療するでしょ。しないと、しょうがないでしょ」


    母は、しばらく黙っていた。

    そして、小さな声で、

    「します」

    と言った。


    「では、生検検査の結果が8日に出ますので、その時、入院日を決めましょう。」

    医師の声は、温かかった。

    母は、震える声で、もう一度、聞いた。

    「治療しないと……どのくらい、ですか。」

    医師は、少し間をおいてから、答えた。

    「1年くらいです。」


    母は、震えていた。 小さな身体が、椅子の上で、はっきりと、震えていた。

    私は、看護師として、こういう瞬間を見たことがある。 他人の家族の、こういう瞬間に、立ち会ってきた。

    でも、自分の母の震えは、初めてだった。


    病院の自動精算機の前で

    会計を待っている、両親の後ろ姿。

    父は車椅子。 母は、その車椅子を押しながら、自動精算機にバーコードを通している。

    ついさっき「あなたの命は、治療しなければ1年です」と告げられた人が、家族の会計を、している。

    私は、その後ろ姿を見て、胸が張り詰めた。 看護師として、娘として、人として、全部の感情が混ざり合って、息ができなくなりそうだった。


    でも、泣けなかった。 ここで泣いたら、母がもっと怖くなる。

    私は、こらえて、母と父を車まで送った。

    母は、車に乗る前に、ぽつりと言った。

    「怖いね。」

    ただ、それだけ。

    でも、その「怖いね」は、私が今まで聞いた中で、一番、震えていた。


    それでも、私は

    母を、家まで送り届けることは、できなかった。

    LUCAを、迎えに行く時間が、迫っていたから。

    母は足の悪い父の代わりに、駐車場から病院の玄関で車椅子で待つ父のもとへ車を移動させ

    そこからは父が運転手になり、父の介助で家まで帰してから、私は車で動けなくなった。 ハンドルを握ったまま、涙が止まらなかった。

    「ママ、遅いよ」

    と、学校の携帯電話から、先生と一緒にかけてきた、LUCAから電話が来た。

    私は、急いで涙を拭いて、エンジンをかけた。


    役割が、入れ替わっていく

    母は、ずっと、父を介助してきた人だった。 家族の中心で、庭を整え、料理を作り、孫を抱きしめてきた人だった。

    その母が、患者になった。

    そして、その母を支えるのは、これから、私と父になる。

    足の悪い父と、シングルマザーの私と、ASDの小学校3年生のLUCA。

    「家族の中心」が、ぐらっと、揺れた。


    それでも、母は

    母は今、治療を始めようとしている。

    「延命はしないでね」と、何度も、私に言った。

    「最期は家にいたい」とも、言った。

    それを聞くたびに、私は、胸が張り裂けそうになる。 でも、看護師として、娘として、私は、母の意思を尊重する。

    それが、命の現場で、私がずっと見てきたことだから。


    同じ気持ちの、誰かへ

    もし今、あなたも、家族の「治療しますか」という瞬間に、立ち会ったばかりなら──

    泣いていい夜が、いっぱいあると思う。

    私も泣いている。

    でも、あなたの家族が「します」と言ったなら、それは、あなたと一緒にいたい、ということ。

    「しません」と言ったなら、それは、最期の時間を、あなたと過ごしたい、ということ。

    どちらでも、それは、あなたが愛されている証拠です。


    5月1日、母と父と私は、人生の新しい局面に、足を踏み入れた。

    私たちはまだ、この坂道のどこにいるのか、わからない。

    でも、坂の途中に、ひとつだけ、はっきり見えているものがある。

    母が、私に教えてくれた「生きること」と「終わること」の、両方を、私は最後まで隣で見つめていく、ということ。

    それが、娘としての、看護師としての、私の覚悟です。


    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。母はステージIV大腸癌・多発性肝転移と診断され、本人の了承のもと、家族の記録を綴っています。

    autism-mama-diary.com


  • フィレンツェで感じた「和」、日本で奏でる癒し

     

    私は、美術のことを何も知らない。

    それでも、フィレンツェのサン・ロレンツォ教会、君主の礼拝堂に足を踏み入れたあの日のことを、今でも、はっきり覚えている。

    八角形の広間。

    壁一面が、ラピスラズリ、碧玉、瑪瑙、大理石で埋め尽くされていた。

    トスカーナの各都市の紋章が、石で組まれていた。

    息を呑んだ。

    そして──不思議なことに、私は「和」を感じた。

    *ここはイタリアなのに、なぜ。*

    頭は混乱していた。

    でも身体は、確かに反応していた。

    古き日本の雅にタイムスリップしたような、あの懐かしさ。

    説明を読む前は、本気でこう思っていた。

    「メディチ家は、日本の美術品にも手を出して、大事にしていたのかな」と。

    後から知った。

    メディチ家は、本当に日本の蒔絵と漆器を愛していた。

    ピッティ宮殿には、500年前から日本の工芸品が大量に残されている。

    ピエトラ・ドゥーラ──硬い貴石を組み合わせて絵を描く、メディチ家が守り抜いた象嵌技法。

    その職人たちは、日本から海を渡ってきた漆器の「線」に、息を呑んだという。

    500年前のフィレンツェの職人と、

    21世紀の、ただの留学生だった私が、

    同じものに、同じ感覚で反応していた。

    知識ではなく、身体で。

    ## なぜ私が、これを話すのか

    私は今、訪問看護師として、精神科と一般の現場で働いている。

    ASD・ADHD・低緊張のある息子LUCAを育てる、シングルマザー。

    毎日、たくさんの患者さんと、たくさんの子どもたちを見ている。

    そして気づいた。

    **ASD・ADHDの脳は、美しい線・正しい比率に、深く反応する。**

    それは、私がフィレンツェで感じたのと、同じ反応だった。

    知識ではなく、感覚で、本物の美しさを掴む脳。

    LUCAも、そうだった。

    2歳で、踏切の音が「規則正しいリズム」だと、自分で見つけた。

    言葉を持たないうちに、自分の処方箋を、自分で選んでいた。

    メディチ家の職人と、フィレンツェの私と、踏切のLUCAと、世界中の神経多様性を持つ脳が、

    **同じ「美しさ」に反応している。**

    ## 私は何者か

    イタリア・フィレンツェとミラノで4年以上住んでいた。

    クラシック音楽、教会のオルガン、街の石畳、職人の手仕事。

    帰国してから、訪問看護師の道へ進んだ。

    精神科の現場で、言葉が届かない患者さんに、

    音楽が届く瞬間を、何度も見てきた。

    LUCAを育てるなかで、

    雨の日も傘をさして1キロ歩いて、踏切に通った日々があった。

    そして母が、ステージIVのがんになった。

    余命を意識する日々の中、母は私のチャンネルを応援してくれている。

    「広い庭を世界に見せていいよ」と、笑ってくれている。

    私は、両親を看取るまで、日本にいる。

    そのあと、息子LUCAと一緒に、海外へ行く。

    LUCAが、誰にも責められず、自分のままで生きていける場所へ。

    ## このチャンネルでやりたいこと

    **ASD・ADHD・神経多様性の脳のために、音と光と言葉を届けたい。**

    チェロとハープの音、ブラウンノイズ、踏切の規則的な音。

    龍と笹の水墨画、行灯のやわらかな光、メディチ家のピエトラ・ドゥーラから着想を得た象嵌の世界。

    500年前のフィレンツェの祈りを、

    21世紀の日本から、世界へ。

    そして──

    世界のどこかで、雨の中、泣きながら子どもの手を引いているお母さんへ。

    「治療しますか」と聞かれて、車のなかで動けなくなったあなたへ。

    「うちの子は普通じゃない」と、自分を責めている誰かへ。

    ここに、あなたと同じ気持ちで生きている、看護師の母が、ひとりいます。

    あなたは、ひとりじゃないです。

    ## 最後に

    私は美術を、何も知らない。

    医学の論文も、英語もドイツ語も、たいして読めない。

    でも、感じる。

    **美しい線、優雅な比率、無償の愛、本物の祈り。**

    それを、看護師として、母として、娘として、

    このチャンネルに、宿らせていく。

    どうか、聴いていってください。

    どうか、迷ったら、戻ってきてください。

    ここは、あなたが何もしなくていい場所です。

    *訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。イタリア・フィレンツェとミラノで4年以上の居住経験あり。両親を看取るあいだは日本に留まり、その後、息子と海外へ向かう予定。*

    *autism-mama-diary.com*

  • 「支援教室はずるい?」

    同じ職場の看護師ママに言われた
    忘れられない一言


    「知的に問題ないなら、支援なんて要らないはずでしょ。ずるいよ。」

    ある日、保護者の一人にそう言われた。

    しかも、相手は看護師さん。

    私と同じ、医療の現場で働く人だった。


    私は、訪問看護師として、毎日いろんな患者さんの家を回っている。

    精神疾患の方、認知症の高齢者、発達特性のある子ども。

    「目に見えない困難」と、ずっと向き合ってきた職業。

    その看護師さんも、同じ世界にいるはずだった。

    なのに、なぜ──。

    びっくりしすぎて、頭の中が真っ白になった。

    それでも、私は静かに、こう返した。

    「あ〜、やっぱり分かりにくいんですよね。」

    笑顔で。

    でも内側では、心臓がバクバクしていた。


    「理解できる」と「できる」は、ちがう

    うちのLUCAは、カラーテストでほぼ100点を取る。

    知的には、問題ない。

    でも、それは「できる」とは違う。

    好きじゃない授業。 苦手なテーマ。 教室のざわめき。 給食の匂い。

    その一つひとつに、LUCAの脳は、私たちの何倍ものエネルギーを使う。

    ストレスが体中にあふれて、固まって動けなくなる。 帰宅すると、ぐったりして、ソファから立てない夜もある。

    それを隣で見ていると、

    「頑張れ」なんて、言葉は、出てこない。

    「理解できても、できない。」

    これが、LUCAの現実。

    これは、知的障害があるかどうかと、まったく別の話なんです。


    「うちの子なんて、一人で頑張ってるのに」

    同じ日、その看護師さんは、こうも言った。

    「みんな大変なのに、うちの子なんて一人で頑張ってるのに。LUCAくんは支援してもらえて、ずるいよ。」

    その言葉は、今も、胸の奥に小さな棘のように残っている。

    帰り道、私は車の中で、ハンドルを握ったまま、しばらく動けなかった。

    涙が出た。

    でも、泣いてばかりはいられなかった。

    ふと、気づいたから。

    ──ああ、見た目で分からないから、分からないんだ。

    LUCAの困難は、外からは見えない。 だから、「ずるい」と言われてしまう。

    そして、これは、LUCAが将来、社会に出たときに、また起きる。

    職場で。 学校で。 電車の中で。

    「見た目に困っていなさそうだから、頑張れるはず」

    そう言われ続けて、潰れていく未来が、私には見えた。


    だから、今、支援が必要なんです

    支援クラスは、特別扱いじゃない。

    LUCAが、「ふつうに学校生活を送るための」環境整備。

    LUCAに必要なのは──

    • 給食でほぼ食べられるものがない中での対応
    • 授業中のストレス管理
    • 友人関係のサポート
    • 疲れたときに、休める静かな場所

    これらは、知的に問題がないからといって、一人でできるものじゃない。

    杖が必要な子に「歩けるんだから杖はずるい」と言う人はいない。 眼鏡が必要な子に「見えるんだから眼鏡はずるい」と言う人もいない。

    LUCAの支援も、それと同じ。

    ただ、それが「目に見えない」だけ。


    同じように、戦っている、あなたへ

    もし今、あなたが、同じような言葉を誰かに言われているなら──

    あなたの判断は、正しい。

    見えない困難を、一番近くで見てきたのは、あなた。

    医師でも、看護師でも、担任の先生でも、

    あなたほど、わが子を理解している人は、いない。

    「支援を使うのは、ずるい」じゃない。

    それが、今この子に必要だから、使っている。

    それだけのこと。

    それだけのことを、世界中の親が、一人で背負っている。


    私は、訪問看護師として、毎日働きながら、

    シングルマザーとして、LUCAを育てている。

    何度も泣いた。 何度も自分を責めた。 何度も「私の育て方が悪かったの?」と思った。

    でも今は、はっきり言える。

    LUCAは、何も悪くない。

    そして、世界のどこかで、同じように泣いているあなたも、

    何も、悪くない。

    今夜、もし眠れない夜があるなら──

    ここに、あなたと同じ気持ちの母親が、ひとり、いることを、

    どうか、思い出してください。


    訪問看護師(Psychiatric Visiting Nurse)として精神科・一般訪問看護に従事しながら、ASD・ADHD・低緊張のあるLUCAを育てるシングルマザー。「一人じゃないよ」を、世界中の親に届けたくて、書いています。

    autism-mama-diary.com

  • 垣根の向こうのじゃんけん  母から、訪問看護師の娘へ

    垣根の向こうのじゃんけん
    ~なんて優しい人なのだろう~

    小学生のころ、集団登校の班が来る前、私はいつも少しだけ道路に出て待っていた。 垣根の隙間から、掃除をしているお母さんが見えた。忙しいはずなのに、私に気づくといつもじゃんけんをしてくれた。 それが、とても嬉しくて、楽しくて大切な時間だった。隙間から見えるその笑顔が、キラキラしていて大好きだった。

    ある日聞いた。
    「どうしてそんなに優しいの?」 お母さんはすぐ答えてくれた。 「好きだからよ」 その一言が、ずっと胸の中にある。
    今も。

    お母さんが育てると、何でも咲く

    小学生の夏休み、黄色の菊を育てる宿題があった。 私は1週間ほどで水やりをやめてしまった。 その後、お母さんが黙って水をやり続けた。 学校に持っていったら、校内で1位『金賞』をとってしまった。 全校のみんなの前で表彰されて、嬉しくもあり、恥ずかしかった。お母さんが育てると、何でも満開に咲くの。 庭のお花も、季節ごとに美しく咲いている。広い庭を、いつもきれいに整えている。私には、とてもできないことを、当たり前のようにやっている。 家族のために、家のために、ずっと一生懸命だったお母さん。 その姿が、ずっと尊敬でいっぱいです。

    お母さんへ

    どうかすぐ いかないで
    もっと 一緒にいたいよ
    今日も 大好き。
    今日も ありがとう。

    お母さんと会えなくなるなんて
    怖いよ。

  • 踏切の音が、LUCAを救っていた。

    ドイツの最新医療が証明した「音の処方箋」


    2歳のLUCAが、私の手を引っ張り始めた日のことを、今でも鮮明に覚えている。

    普通じゃない力だった。 小さな手のひらなのに、まるで何かに引き寄せられるように、まっすぐ前だけを向いていた。

    「この子は、私に見せたいものがある。」

    母親の本能が、そう叫んでいた。


    発語が乏しかった。笑顔も少なかった。

    1歳のころから、私は毎日ひたすら話しかけた。 返事がなくても。目が合わなくても。

    「この子はどんな声で笑うんだろう」—— それだけを考えながら、毎日1回、笑わせることを自分に課していた。 泣きながら、笑わせていた日もあった。

    でもLUCAには、言葉よりも先に、 ちゃんと「好きなもの」があった。

    月と、踏切と、電車の音。


    日中、空に月が見えると、 LUCAは小さな指でそっとさして、ニッコニコの笑顔で私の目を見た。

    キラッキラの瞳で。

    あの瞬間—— 初めて、「この子とつながれた」と思った。

    言葉じゃなかった。 視線と指先と、満面の笑顔だけで、 私たちはたしかに、会話をしていた。


    LUCAに手を引かれて着いたのは、家から1キロ以上先の踏切だった。

    踏切に着いた瞬間、LUCAが変わった。

    満面の笑顔。 キラッキラのお目目。 ピョンピョン跳ねて、喜びを全身で表現した。

    低緊張があるから、疲れやすい。 いつもすぐ「抱っこ」になる。

    でも次の電車が来るとき—— 私の腕の中でも、ピョンピョン跳ねながら、 「タンタンタン、タタンタタン」と口ずさんでいた。

    その声を聞いて、私は泣いた。 誰にも見えないように、LUCAの髪に顔を埋めて。

    この子は、ちゃんと世界を楽しんでいる。 私が知らなかっただけで、ずっと。


    それから毎日、踏切に通った。

    雨の日も、レインブーツにレインコートを着て。 暑い日は、車の窓を開けて。 体調が悪い日も、「踏切だけ見たら帰ろう」と言い聞かせながら。

    2歳から小学校に入る前まで、毎日

    今もLUCAは、踏切のおもちゃで遊ぶ。 庭の枝を遮断機に見立てて、一人で踏切ごっこをする。 あの日と同じ顔で。あの日と同じ声で。


    なぜ踏切だったのか

    看護師として、あとから気づいた。

    踏切の音には、完璧な規則性がある。

    カンカンカン、という一定のリズム。 必ず来て、必ず止まる。 予測できる。裏切らない。

    ASDの脳にとって、 予測できる音は 「安心」 そのものだ。

    「大丈夫だよ」という言葉より、 「また来た、いつもの音だ」という体験のほうが、 もっと深いところに、もっと確実に届く。

    LUCAは2歳で、自分の処方箋を自分で選んでいた。 私はただ、手を引かれていただけだった。


    ドイツの医療が証明したこと

    医療先進国ドイツの最高レベルの指針(S3ガイドライン)に、
    こんな記述がある。

    「予測可能なリズムやメロディは脳に安心感を与え、社会的なスキルを学ぶ土台を作る」

    初めてこの一文を読んだとき、涙が出た。

    あの踏切に通い続けた日々が、 雨の日も傘をさして1キロ歩いた日々が、 ここに書いてあった。

    LUCAは正しかった。 私はただ、それについていけばよかった。


    私がBGMを作り始めた理由

    訪問看護師として、精神科の現場で働いている。

    言葉が届かないとき、音が架け橋になる瞬間を、何度も見てきた。 LUCAの踏切も、そうだった。

    だから私は、音楽を作ることにした。

    ASDやADHDの脳が、 「ここは安全だ」と感じられる音の空間を。

    医療の知識と、母としての経験と、 イタリアで音楽に救われた記憶を、全部込めて。

    もしかしたら今、どこかで—— 雨の中、泣きながら子どもの手を引いているお母さんがいるかもしれない。 「この子のことが、わからない」と膝を抱えている夜があるかもしれない。

    あの頃の私へ。 あの頃の私に似た、世界のどこかのあなたへ。

    音楽を届けたい。 「大丈夫だよ」じゃなくて、音で。


    このBGMは、医療行為ではありません。リラクゼーションと集中のための音の環境づくりです。お子さんの状態によっては、専門家へのご相談もお勧めします。


    ▶ 無料で聴けるBGMはこちら ↓ [https://www.youtube.com/@NurseNeurodivergentBGM]


    written by a Psychiatric Visiting Nurse & Mom of LUCA autism-mama-diary.com