「僕のこと、分かってるかな」——一生懸命な先生ほど、こう思っている

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走ってきてくれた先生

書道の授業のあと、補助で入ってくださっている先生が、息子の書いた半紙を持って、走って私のところにやってきた。

「これから捨てるのもったいないから」

そう言って、プレゼントしてくれたのは、力強く書かれた「土」の一文字だった。
その数週間前にも、同じ先生からこんな言葉をいただいていた。

「お母さん、Lucaくんのお母さん。見て、”二”上手に力強く書けているでしょ〜」

まるで自分のことのように、自慢するように褒めてくださった。

私は息子から、その先生のことを聞いていた。下の名前で呼んでいたので、最初は誰のことか分からなかったけれど、「なおこ先生ですか?」と聞いたら、「そう、そう」と。

「いつもありがとうございます。なおこ先生、いつも来てくれて、ありがたいよ、と息子も言っていました」

そう伝えると、なおこ先生はこう続けた。

「筆ね、あれ難しいんだよー」

そして次の授業のあと、息子から聞いた話も伝えた。
書いたばかりの、まだ乾いていない紙を持っていくとき、バリッと破れてしまったこと。そのとき、なおこ先生が「紙持ってるところ、引っ張らないで持てば大丈夫よー」と教えてくれて、それ以来破けなくなったこと。

それを話したら、先生の表情が変わった。

「嬉しい。私のこと分かってるかな?って思ってたから」

ベテランの先生も、不安になる

なおこ先生は、1年生の補助に入ってくださっているベテランの先生だ。
無駄ににこにこするタイプではないけれど、とても丁寧で、的確な指導をしてくださる。

「こう書くのよ」「左手は、こう紙を広げるように押さえると書きやすいよ」

そう教えると、息子は一生懸命やる。
「素直で、本当に気持ちのいい子で」と言ってくださった。

「あ、それ聞いたことあります」と私が答えると、
「えー嬉しい。私のこと話してくれて、えー嬉しいわ」

ベテランの、経験も実力もある女性の先生が、「分かってるかな」と不安に思っていたという事実に、私は静かに驚いた。

同じ言葉を言っていた、もう一人の先生

実はこれと同じ言葉を、別の先生からも聞いたことがある。
息子の親学級の2年生の担任の、男性の先生だ。

まだ若手だけれど、3か月経っても声をかけ続けてくれる、熱意のある先生。
今でも会えば、息子に声をかけてくれる。

その先生も、担任になって数か月経った頃、こう言っていた。

「僕のこと、分かってるかな?」

ベテランと若手。年齢も経験も違う。
けれど、共通していたのは「一生懸命さ」だった。

なぜ、一生懸命な先生ほど不安になるのか

最初は不思議だった。経験のある先生の方が、もっと自信を持って関わっているものだと思っていたから。
でも、考えてみると分かる気がした。

手を抜いている人は、そもそも「伝わっているかな」なんて考えない。
真剣に向き合っているからこそ、子どもの反応の薄さに、揺らぐ。

自閉症の子どもは、目を合わせることに慣れていない。リアクションも分かりやすい形では返ってこないことが多い。
だから、一生懸命に関わってくれている大人ほど、自分の関わりが届いているのか分からなくなる。

これは、子どもの特性の話だけではなく、反応の読みにくい子どもと向き合う、一生懸命な大人が抱える孤独の話なのだと思う。

先生たちは、子どもの内側で何が起きているか、見えない。
でも私たち親には、子どもが家でぽつりぽつりと話してくれる言葉から、それが見える。

「なおこ先生、ありがたいよ」
「紙、破れなくなったよ」

子どもの言葉は、ちゃんと先生に届いていた証拠だった。
ただ、それを先生本人に伝える機会が、なかっただけ。

伝えることの意味

あの日、なおこ先生に息子の言葉を伝えたとき、ベテランの先生の顔がふっと緩んだ。
「嬉しい」という言葉を、二度も口にしてくれた。

その姿を見て思った。

子どもの心の中にある感謝や信頼は、放っておいても伝わるものではない。
誰かが、橋渡しをしなければ、届かないまま終わってしまうこともある。

だから私は、これからも伝えていきたいと思う。
子どもが教えてくれた、小さな感謝の言葉を。

一生懸命な先生たちが、「ちゃんと届いているよ」と知ることができるように。


次回予告
次回は、2年生の頃の担任の先生との、もう一つのエピソードを書こうと思います。息子が今でも尊敬している、その男性の先生との話。

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