オーキッド、という色
1年生になった息子が、朝顔の観察日記に、こう書いていた。
「花の色は、オーキッドだった。」
……オーキッド?
母である私は、正直、その色を知らなかった。
あわてて調べてみると、たしかにあった。淡い紫に、そっとピンクを溶かしたような、蘭の花の色。
そういえば、うちの庭に咲いた朝顔は、まさにその色をしていた。「むらさき」でも「ピンク」でもない、その両方がやさしく混ざりあった、あの色。
息子は、どこでこんな言葉を見つけてきたのだろう。
自分で調べて、たくさんの色の名前の中から、いちばんぴったりの一つを選んだらしい。
私は、驚きながら、少しだけ泣きそうになった。
だって、この子は──言葉が、とても遅い子だったから。
ゲボを吐きそうだった、あの日々
正直に書く。
息子が小さい頃、私は、言葉の遅れが心配で、心配で、たまらなかった。
本を、たくさん買った。育児書だけじゃなく、言語聴覚士が書いた専門書まで。
夜は眠れなくて、睡眠導入剤を飲むようになったのも、ちょうどこの頃だ。
2歳のとき、不安で夫に相談したら、「他の子と比べるな」と言われた。それきり、私は一人で抱えることにした。
「1日に3800語、子どもに言葉を聞かせるといい」──そんな話を知って、私は必死に実践した。
物語を語り、自分の動作をぜんぶ実況し、自分の気持ちも、息子が言えたらいいなと思う言葉も、目に映ったものも、とにかく声に出し続けた。
もともと、私はそんなにおしゃべりな方じゃない。喋り続けるのは、正直、ストレスだった。
それでも、この子のためならと、言葉のシャワーを、毎日、浴びせ続けた。
「ゲボ吐きそう」だった、あの日々。
今は、笑って書ける。でも、あの頃は、本当に必死だった。
でも、私は知っていた
それでも、私は、どこかで知っていた。
この子は、ちゃんと世界を理解している、と。
なぜなら──1歳になる前から、息子は「指」で、私と話してくれていたから。
夜、お月様が出ていると、指でお月様を指さして、にこにこ笑って、教えてくれた。「お月様、出てるよ」って。
星が見えると、空を指さして、両手をキラキラさせて、私をとんとんと叩いてから、教えてくれた。「星さんも、出てるよ」って。
雨が降ると、手を「おいで、おいで」するみたいに動かして、「雨、降ってる」と伝えてくれた。
「まんま(ママ)」と言い、なぜか「だいだい(dai dai)」ともよく言った。
私がイタリアで過ごした時間が、この子の最初の言葉に、そっと溶けこんでいた。
電車を見に行くと、「たたんたたん、たたんたたん、えーーーい!」と、大きな声で(笑)。1歳半になる前のことだ。
あの全身での表現に、私はいつも笑わされていた。
言葉は、少なかった。
でも、この子は、言葉より豊かな方法で、世界の美しさを、私に伝えてくれていた。
「ママ、見て。きれいだよ。」
そう言うように、小さな指で、空を指さして。
色だけは、饒舌だった
もう少し大きくなっても、息子は、既成の言葉に、丸めこまれなかった。
紫色を見せて「これは紫だよ」と教えても、息子は言った。
「青いピンク」。
赤みの強い紫を見ると、
「赤い青」。
青みが強ければ、また違う言い方をした。
いつも、強く見える色を、先に言った。
「紫って言うんだよ」と教えても、「違う」と、はっきり言われた。
最初は、戸惑った。どうして、覚えてくれないんだろう、と。
でも、あるとき、気づいた。
この子は、間違っているんじゃない。
私たちより、本当の色を、見ているんだ。
紫は、たしかに、青と赤が混ざった色。息子は、その中にある青と赤を、ちゃんと見分けていた。
どちらが強いかまで、見えていた。
「紫」という一つの名前では、足りなかったのだ。
この子の目には、世界が、もっと細やかに、もっと豊かに、映っていたから。
視覚が優位で、見たものを、映像のまま、正確に記憶する子だった。
信号の色の順番だって、正確に言えた(大人でも、あやふやな人は多いのに)。
ばーばの、宝物
私の母──息子にとっての、ばーばは、専門的なことは何も知らなかった。
でも、息子の言葉が遅いと聞いても、こう言った。
「言葉は遅いねぇ。でも、ちゃんと通じ合えてるから、大丈夫。素直で、こんなに可愛い子、いないよ。宝物だよ。」
ばーばは、特性とか、診断とか、そういうものの前に、ただまっすぐ、この子を「宝物」と呼んだ。
そして、息子の記憶力や、色の感性には、いつも驚いていた。
「えー、どうして、こんなこと覚えてるの?」
「この子は、天才だねぇ。」
私も、息子を「tesoro(テゾーロ)」と呼んでいる。イタリア語で、「宝物」。
日本語で「宝物」と呼ぶ、ばーば。イタリア語で「tesoro」と呼ぶ、私。
この子は、二つの言葉で、宝物と呼ばれて育った。
3年目の、朝顔その朝顔は、息子が1年生のとき、学校の授業で育てた、あの朝顔から始まった。
夏休み、家に持ち帰って、一緒に育てた。
花が終わると、ばーばが、その種を、大事にとっておいてくれた。
2年生の夏、ばーばと息子は、その種を、また一緒にまいた。
二人で、水をやって、つるが伸びるのを見守った。
そして、3年目の今年。
ばーばは、大腸のがんが、肝臓にも広がって、入院している。
畑の手入れも、庭の草取りも、する人がいなくなった。
それでも──朝顔は、咲いた。雑草に囲まれて、栄養もじゅうぶんじゃないのに、あのオーキッド色の花を、いくつも咲かせた。
ばーばがいなくても。
手をかけられなくても。3年間、つないできた種は、ちゃんと、命をつないで、咲いていた。
その花の色を、息子は、「オーキッド」と名づけた。
「星さんも出てるよ」と、小さな指で空を教えてくれた、あの子が。
言葉が遅いと、私が眠れぬ夜を過ごした、あの子が。
今、こんなに美しい言葉で、色を語っている。
あなたの子の「違い」も、きっと言葉が遅くても。
みんなと同じ言い方ができなくても。
その子は、世界を、誰よりも豊かに、正確に、美しく見ているのかもしれない。
「青いピンク」と言った息子は、間違っていなかった。
むしろ、いちばん本当の色を、見ていた。
もし今、あなたが、あの頃の私のように、眠れない夜を過ごしているなら。
専門書を積み上げて、必死になっているなら。
どうか、少しだけ、覚えていてほしい。
あなたの子が、指さす空を。
全身で表す、電車の音を。
「違う」と言い張る、色の名前を。
それは、その子だけが見ている、豊かな世界からの、贈り物かもしれないから。
いつか、あなたも、出会えるかもしれない。
あなたの子の、「オーキッド」に。
ばーばが育てた庭で、今日も朝顔が咲いています。
オーキッド色の、あの花が。
ばーばに、写真を見せてあげようと思います。「ママ、3年目の朝顔、咲いたよ」って。
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